2011年10月20日(木) 東京ビッグサイトにて行われた「危機管理産業展(RISCON TOKYO)2011」にて開催された、危機管理セミナー「災害と子供」の講演記録を記載いたします。
危機管理産業展2011
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開催日時 | : | 2011年10月20日(木) 12:40〜14:10 |
会 場 | : | 東京ビッグサイト 会議棟6F 会議室605+606 |
企画協力 | : | クライシスマネジメント協議会 ・近代消防社 |
【パネリスト】 |
日本ホスピタリティ・マネジメント学会理事 |
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社会福祉懇談会 副会長 |
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私立幼稚園経営者懇談会 会長/日本経団連常任理事 |
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ベネッセ次世代育成研究所 |
【コーディネーター】 |
クライシスマネジメント協議会 専務理事/拓殖大学 客員教授 |
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司会:それでは皆様、お待たせいたしました。本日はお忙し中を危機管理産業展2011にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。
只今より、危機管理セミナーセッション3を開始いたします。それでは、パネリストとコーディネーターをご紹介させていただきます。日本ホスピタリティ・マネジメント学会理事加地照子さん。私立幼稚園経営者懇談会会長で日本経済団体連合会常任理事でもある渡邉真一さん。社会福祉懇談会副会長の菊池繁信さん。そしてベネッセ次世代育成研究所、橋村美穂子さんの皆さんです。
また、コーディネーターは、クライシスマネジメント協議会専務理事で拓殖大学客員教授の長田逸平さんです。
今回は、「災害と子供」と題してお送りいたします。それでは長田さん、よろしくお願いいたします。
クライシスマネジメント協議会
専務理事/拓殖大学 客員教授 長田 逸平 氏 |
長田氏:本日は、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。
ご案内のとおり、今年の3月11日に大変な災害が起きて、今日もその被害、苦しんでいる人が多い。その中でも、大川小学校のように児童の7割が失われるといった、非常に痛ましい災害がございました。近いうちに、近い年に、関東・南関東直下、東南海・南海という巨大地震も起こることも想定されています。
こういった中で、我々何をしなければならないか、特に、非力であり、また、次世代を担う子供をどうやって守るかです。これは我々大人の責任だと思います。今はどうしても大人の方ばっかりに目が向きますけれども、次の世代を守らずして我々大人の責務を果たせるか、非常に疑問に思っております。そういった意味で、今日のシンポジウムは皆さん方も一緒にお考えいただいて、一緒に行動するような起点となるシンポジウムにしたいと思います。どうぞよろしくお願い申します。
それでは最初に、震災のことについて、まずひととおり、皆さん方の意見を聞きたいと思います。震災に対してどのように思うか、まず何が問題であるかということなどを中心に、お話しいただきたいと思っております。では加地さん、お願いします。
日本ホスピタリティ・
マネジメント学会理事 加地 照子 氏 |
加地氏:加地でございます。よろしくお願いします。私は卒業以来、主に航空業界で仕事をし、その後、多様性経営人材を支援する公益法人に勤務しまして、40年でございます。従って、企業人として40年間生きているのですが、その中では子供を高齢出産で1人設けて、仕事と生活の調和は難しいと思いながら、今、ワークライフバランスの推進に力を注いでいる訳なのですが、今回の東北の大震災については、私も7月に釜石に方行ってまいりました。本当に厳しく、もう想像絶する状態でありました。3月11日は、たまたま自宅におりましたので、ずっとテレビを付けていたということもあり、本当に苦しいお姿を見ざるを得ないというか、苦しい気持ちでテレビを見ておりました。
その中で、かなりの皆様が、それでは、これからどうすればいいかということで、取り組んでおられると思います。で、私自身も次世代の子供をとにかくやはり立派に育てたい。そのためにお役に立ちたい。その子が大人になる頃には、私はおりませんが、その育てる観点から、今こんな風に考えておりますということをお話しします。
災害に対しては、3つのフェイズがあるのではないかと思っております。1つは防災。2番目は面災。3番目に処災でございます。1の防災は、災害発生の前に長期に渡って学んで準備しておくべきこと。2の面災は「面と向かう」の面ですが、災害発生時に即対応すべきこと。3の処災は処置の処でございますが、災害発生後、これは長期の場合もありますけど、その後の長きに渡っての対応を含めます。私自身はこの3つのフェイズを総括して防災道としまして、小中学校での必須学習項目としてご提案申し上げたいと思っています。
防災という言葉からは大変厳しい現実を突き付けられます。その中で、道というものを超えることで日本人の誇れる歴史と文化を礎として将来実現する未来の夢を実現する道というものが加わると思うからです。日本という火山国に生きている私達は単にその場限りで恐れるとか、怖い、怖いと恐れるのではなく、皆さんも仰っているように正しく恐れる。自然や地球の活動への畏怖と共に生きる。共生と申しましょうか、そこにあったのでございます。子供達は、私達の夢を引き継いで次代を担う人間でございます。そして、世界に役立つ地球レベルのリーダーとして将来活躍して欲しいと願っています。ですから、道という風に私は名づけました。
この3つのフェイズをもう少し事例と共にお話ししていきたいと思います。1の防災なのですが、私は世界に震源分布をはじめとして日本列島が環太平洋の地震帯にあり、同様の環境にある子供の仲間達が海外にもたくさんいるということを子供達に視覚的にわかりやすく説明していくこと、そしてさらに、日本という島国の過去から現在を知る機会を設ける必要を感じています。
例えば、地震帯の上にあるから、親子で楽しく温泉に浸かれるのだとか、美しい景色を旅で楽しめるんだとか、そして、温泉・四季の景観に惹かれて海外から多くの観光客が来て下さって日本が栄えていけるのだ。でも、地球は生きているからプレートの重なりが一定以上になると跳ね返って大地震や津波も発生する。こうした希望が抱えるプラス、恐れるべきマイナスを地球環境を踏まえてしっかり子どもたちに伝えたいと風に思っております。
2の面災ですが、発生直後にどうしたらよいかの指導とそれから実地訓練の場で親子で体験してもらうことの奨励と実行が私は必要だと思いました。私は9月に本所に防災館がございます。いらした方も多分多いと思いますが、地震直後の実体験ができます。そこでは煙とか地震とか暴風雨とか消火などの体験設備も整っております。私が参りましたときは女性消防士の方が重い消防服の試着を勧めてくれたり、それから帽子もかぶらせて写真もどうぞと言われました。笑顔が大変豊かで丁寧に説明してくれました。3月の震災の影響もあったからだと思います。見学者は3歳未満のお子さん数名を連れたお母さん、それから小学生低学年と高学年の女の子2人を連れたお母さんやあと、企業の勉強会ということで7名、それから高齢者を含めて20名弱のツアーとなりました。震度7の体験はですね、女の子はお母さんと一緒に参加しましたけれど、男の子たちはもう首をふって怖がってもう動こうとしない。だけれども、地震で、自宅で地震にもし遭ったときに大人達がどういう風に行動を取るのか。これは目の当たりにするというだけでもその小さな男の子には大変な経験だったと思います。もう1つの経験もあるのですが、かなりの濃い煙です。そして、匂いがついております。これ、煙の臭いではなくて別の匂いなのですが、私はですが、歩くのにこのタオルを鼻に付けてそして進んでみました。そうすると、このタオル自体はどんどん鼻に匂いが入ってきて十分には役に立たないことがわかったのです。
消防士の女性の話では、タオルは水に濡らすことが大事なのですと言われて初めてその重要性がわかりました。実験に参加して初めて危険を体験できることがわかったのです。
一方、震災直後に私達は大田区のプチトマトという保育園がありますが、乳児や幼児ですから災害は発生しますと、彼らの命運は保育士の方々の判断が頼りになっています。この保育園では創立以来、年間計画を立て毎月避難計画を例えば、おんぶ練習、遊び中地震、地震プラス火災、水遊び中地震・火災、不審者などと多岐に想定しています。さらに戸外に散歩に出るときには、保育士さんは園の名前を大きくデザインされたエプロンをかけて地域の方々に子供達がいるんですよ、この子達いるんですよとわかっていただくよう努めています。一方、戸外のいわゆる非常の事態の練習は、大声を出すわけですから他の子のいる時じゃダメですねということで、誰も周りにいない時に大声を出して訓練するようにしていますと仰っていました。こんな風に訓練を重ねているものですから、3月11日の地震の時には子供達は保育士の方達の指示に普段の訓練どおりに従って行動していたようです。つまり、子供達と保育士の方々の信頼感が醸成されていたと言えると思います。
再度この保育園を訪問しまして、9月にお伺いしましたが、避難訓練を重ねていかがですか、と聞きましたところ、保育士さん達はこんな答が返ってきました。訓練するたびに新しい課題が見つかります。実行してみるたびに新しい課題が見つかり、その課題の解決を図っていくという、平時からPDCAが実践されていることがよくわかりました。
3の処災ですが、これは震災の取材にいらした米国ABC放送のメインキャスター、ダイアン・ソイヤースが伝えていたことを皆様思い出しておられると思います。被災された方こそ、お困りであると思いますけれど、彼女は堂々と同胞の方を分けておられました。被災者の中の思いやりと礼儀正しさです。また、避難所を訪問なされた天皇皇后両陛下のお慰めが、そのお慰めのお言葉とか仕草に日本の姿をご覧になった方多いと思います。私はこれも1つ、防災の日本文化の1つと言えると思います。こうやって子供達はテレビを見て、また目の前の大人の行動を見て日本を学び取ってきているのではないかと思います。
9月に子供環境会議開催のシンポジウムで、子供の本音・大人の言い分・大人に言いたいということで開催された会議に私も参加しまして、そこで被災地福島と東京の子供達が静岡の住職様のご厚意を受けて合宿をした報告がありました。そこで私は2つほど印象的な点を見つけました。1つは、静岡から福島に帰る時に空のペットボトルに静岡の水をいっぱい詰めて子供達はお母さんに持って帰ろうとしたそうです。そして、もう1つは被災した子供達の大人達への色々なお願いの中に、僕達の気持ち・話を聞いてください、その一言があったことです。で、私自身は、組織の遂行力を高めるために上司の方に最も重要なスキルは傾聴であると思っています。部下の言葉や話を傾聴することはやはり避けがちになり、そのために組織の力が発揮できなく、また、家庭でも発生していると思いました。ご両親が災害の処理で余裕がない日々であることは十分にご理解申し上げるところです。その中で、子供達がどのような心境でいるかを知って関係の質を高めるということは家庭という組織が持続的に発展するための重要な要素であるということを、大人の方々にもう一度認識していただければと思っております。
そのためにはいわゆるビジネスパーソンコーチングというスキルは十分活用できると思いますし、私もそのお役に立てると思っております。以上です。
長田氏:ありがとうございます。それでは続きまして渡邉さん、お願いします。
私立幼稚園経営者懇談会 会長/
日本経団連常任理事 渡邉 眞一 氏 |
渡邉氏:先程ご紹介いただきました渡邉でございます。ご紹介を受けました肩書は大変に堅苦しい肩書でございますけども、私は横浜で幼稚園の園長をしております。そして神奈川県には674の幼稚園ございますが、その県連の会長という立場でお話させていただこうと思います。
まず、東京ビックサイトですけれども、私は東京マラソンに出ておりますので、ここはいつもゴールなのです。今日、雰囲気が全然違うので会場に来るとちょっと迷いました。走ってくるとちゃんと入って来るけど、車で来ると入れなくてえらく迷いました。そういう意味ではもう少しこまめな表示が出ているといいのかと思いました。これは町でもそうですけども、避難できる場所への表示は、比較的どこの町へ行っても目立たないのです。これからはやはり、子供達にも安心してこう動けるような、何かそういうものが必要なのかなって、今日さっきポッと思ったんですけれど、それが1点ですね。
私は、3月11日の時には丁度揺れた瞬間神田駅のホームにおりました。で一瞬、何が起こったのかわからなかったですね。神田駅、電気街の建物が上下に揺れているのですよ。私、血圧でも上がったのかなぁ、と一瞬非常に不安な気持ちになりました。で、気がついたら大変なことが起きたんだなぁ、とわかりまして、それから実はその時間にまだ子供達は幼稚園にいるのです。半分の子供達は帰りましたけど、半分近くの子供達と幼稚園に赤ちゃんの施設を併設しておりますから、赤ちゃんのこととそれから、同時に併設している学童保育の小学生のことがちょっと心配になりまして、連絡取っても全く連絡つかないのです。私は神田駅から横浜の保土ヶ谷まで8時間かけて歩きました。もうその間はまさに国道は車が数珠つなぎで動きません。それから歩道はもう溢れるように皆さん帰宅を急ぎました。まさに民族の大移動という形でした。
その間にこんなことがありました。1つは連絡が取れないということ。あらゆる連絡が取れないということがわかったと。1つだけ、公衆電話は連絡が取れたことがわかった。最近、公衆電話が少なくなってきていることは本当にいいのかなって思い、その時に考えさせられました。神田駅から歩いてやっと最初の公衆電話が利用できたのは浜松町の貿易センタービルの前です。まぁ、あそこにたくさんあるのですけど。あそこでやっと安心して公衆電話をかけることができました。その時困ったことが起きたのです。それは外国人が自分の母国に電話をかけるのですけど長いのです。待っている方はイライラするんです。遂に私はトントントントン叩いて事情を説明してそれでお願いしましたけど、そういう時の対応というのは公衆電話には何にもないのです。この公衆電話の利用ができるということは救いでした。それからは横浜まで5時間歩きながら公衆電話のある所に必ず寄って、それで子供達の様子を確認しながら横浜まで歩いたのですね。段々、コンビニからも公衆電話がなくなっていますので、本当にこれ、起きた時にどうするのかな。公衆電話も電源が切れてしまえば全く術を失うという時にどうなのかな。これがとっても管理的な立場にある私共には1番の心配事でした。
その間にこんなことがありました。1つは連絡が取れないということ。あらゆる連絡が取れないということがわかったと。1つだけ、公衆電話は連絡が取れたことがわかった。最近、公衆電話が少なくなってきていることは本当にいいのかなって思い、その時に考えさせられました。神田駅から歩いてやっと最初の公衆電話が利用できたのは浜松町の貿易センタービルの前です。まぁ、あそこにたくさんあるのですけど。あそこでやっと安心して公衆電話をかけることができました。その時困ったことが起きたのです。それは外国人が自分の母国に電話をかけるのですけど長いのです。待っている方はイライラするんです。遂に私はトントントントン叩いて事情を説明してそれでお願いしましたけど、そういう時の対応というのは公衆電話には何にもないのです。この公衆電話の利用ができるということは救いでした。それからは横浜まで5時間歩きながら公衆電話のある所に必ず寄って、それで子供達の様子を確認しながら横浜まで歩いたのですね。段々、コンビニからも公衆電話がなくなっていますので、本当にこれ、起きた時にどうするのかな。公衆電話も電源が切れてしまえば全く術を失うという時にどうなのかな。これがとっても管理的な立場にある私共には1番の心配事でした。
それから2番目は、やはり普段から避難訓練ですとか、地震だとか、あるいは、火事だとかですね、様々なことを想定して学校教育機関では特に幼稚園・小学校・中学校くらいまでは、年に何回か地震の対策を練って私達も動いております。やっとたどり着いて職員から報告受けましたら、残っている子供達は普段の訓練の成果でしょうか、本当に早く安全な場所に避難してくれたということを言っておりましたので、これは小さな子供達でも日頃から色々な場面を想定してそして動くという大切さと私達は子供達から改めて学ぶことができました。
次は、赤ちゃんの施設と幼稚園という所は公共教育機関です。預かり保育をやっているのですが、仕事を持っているご家庭でも今、長時間幼稚園で生活できる、そういう仕組みでありました。朝7時から大体9時くらいまで、2時から大体夜7時くらいまで子供達は教育時間の外側で離れて長時間生活しているのです。この子供達の対応が一番問題でした。それはどういうことかというと、お父さん・お母さんが迎えに来れないのです。一番最後に帰宅した子供達は翌日の午後の3時でした。それまでは子供達を園で預かった。あるいは、保育所の方で預かった。そのために、職員も当然ご一緒するわけですけども、その間の子供達のケアはまず当日大変でした。あと、親と連絡が取れない。このことというのはもう、今回の私達の課題だと思ってるのです。ですから、仮に電気が全部ストップしても、何か親御さんと連絡が取れる、あるいは、親御さんも安心できるし、私らも、何て言うのでしょうか、子供達を預かっている上での1つの安心感と申しますか、そういう仕組みが、何か今後考えられるかなと思います。これをきっかけに、まず幼稚園では発電機を買いました。灯光器を買いました。それから電気が切れて暗くなると子供達、不安でございますので、LEDの明るくなる電池式のランプって言うのですか、あれを大量に買いました。それぞれの施設に置かなくちゃいけませんし、などなど、むしろ、今までそこまで考えなかったところにも踏み込んで、そういう準備をしているところです。同時に、今、発電機を女性の職員ですけども、職員でも起動できるように今色々と対応しております。たまたま私は地域の防災訓練の、幼稚園の前に小学校がございまして、そこが拠点校となっておりますので、拠点校の防災訓練の私は実質、隊長をやっているものですから、拠点校の防災の器具の扱い、あるいは食料、あるいは行政の対応、拠点校なりの地域なりのノウハウがあったのですけども、今度は1幼稚園の管理という立場から見た時に困ったのは、行政の情報は公立の小学校、公立の保育園にはきちんと出るのですが、民間の幼稚園だとかには出ない。そういう意味で情報の収集が大変でした。これだけ官と民の格差がやっぱり歴然とあるのです。そういう中で私立の幼稚園は、本当にこういう問題が起きた時に、どういう対応したらいいかということは、正確な情報が得られない中で、自前でいろいろ判断していなかくちゃならない。こういう、苦しさと言いますか、その状況の中での次の課題を私達はいただいた訳ですね。
今後、どういうことが起きるかわかりませんけれども、いつでも、備えておかなければならない。そういう意味でもう1つお話ししますと、5年間保存できる飲料水。あるいは、特に、1番困るのは赤ちゃんの食事、赤ちゃんの食材をどういう風にこれから私達が集めたらいいか、または、近所の食材を抱えている皆さんが率先して、「園長心配スンナよ」、何日分か寄付してあげるから。例えば、園バスがありますけれども、ガソリンスタンドの社長からドラム缶1本社長のうちの「園に寄付してあげるから心配すんなよ」、こういう、お気遣いをいただいて、当時非常に厳しい中で乗り切れましたけれど、やはり地域とのつながり、地域との連携というのは日頃から大事であるなということをつくづく感じました。
それからもう1点、阪神淡路大震災の時に幼稚園とか保育所は1番地元に密着している。ですから、私阪神淡路の時に入りましたけども、最後の最後まで避難民を預かっていたのは幼稚園・保育所です。小学校とか中学校は早い時間、ある時間になりますと段々復旧していきますけど、そして最後まで義捐金ですとか行政の手が伸びてこないのが私立幼稚園でした。地域で一番、受けているのもやはり私立の幼稚園でした。そこに当時も色々なことを考えましたが、どうするのかなということと今回も感じたのです。福島の方では今、在園している幼稚園の半分が福島の県外に出ています。これから園児募集が始まりますと、来年経営できない幼稚園が出てくる。ある幼稚園は天井が全部落ちました。復旧するのに3000万かかると言って、復旧した後に、また落ちまして、地震が来て、グランド半分以上落ちました。どうやっていくのか大変な思いをしております。今、仲間を色々と応援しているのですが、もうここまで来ますと物資より何よりやっぱりお金なのかなと思いながら私達本当に今苦労しております。
話はもとに戻りますけれども、日頃からどういう形で、ご家庭との連携、あるいは地域とのつながり、あるいは行政とのつながり。特に今、行政とのつながりには、保土ヶ谷区ですけども改めて投げかけて再構築していこうと今少しずつ動いているところです。
いずれにしましても、こういう大きな災害が起きた時の日頃からのネットワークづくりというのが非常に大事なんだなということを今回痛切に感じましたし、私も8時間黙々と歩きながら、あの、子供達のことが目の前に、走馬灯のように動くというそういう体験をしながら、その8時間、世の中の動きというのがよく、また違った部分で学ぶことができましたので、こういうことをこれから私は幼稚園経営、運営の中に生かしてきたいたなと思って今、色々と細かい作業に入っているところでございます。そういう時期にこういう機会をいただいたものですから、今日たくさんのことを学んで帰り、戻り、そして自園の防災計画に生かせることができればなと感じで今日は参加しました。私の話は以上です。ありがとうございました。
長田氏:続きまして、菊池さん。
社会福祉懇談会 副会長
菊池 繁信 氏 |
菊池氏:菊池でございます。先程、長田さんの方からございましたけれど、日本というのは非常に震災が多い。阪神大震災、私も大阪ですので震災の被害、震災の被害を少なからず受けた者の1人ですけれども、それから16年経過、その間に結構大きな地震が5年に1回くらいの割合で起こっていることです。鳥取沖地震、あの鳥取地震、中越地震、それから能登半島地震。今年も本当に驚くべき被害をもたらした。東北の地震でしたが、大阪でも地震の影響がございまして、直接物的な被害というのはなかったのですが、私はその時丁度揺れた時には高速バス中にいたのですが、全然わからなかったのです。実際に大阪にいた私の知り合い等は何か眩暈がしたような気がするとゆうようなことを共通して言っていました。そういった状況があったのですが、これだけ離れた地域でもそういったことがありました。
私の肩書は社会福祉懇談会副会長ということで、ご紹介いただいておりますけれども、実は保育園の団体の方にも関係しておりまして、震災直後から関係者から、なかなか情報が入るのに時間がかかりました。現地に入ることもままならず、丁度1か月経った頃に、やっと現地に入ることができまして、被災地3県とそれから茨城県と直接被害受けた所を見て参りました。そういったことで、実際に見て聞いたことを、少しご紹介をしたいと思います。
岩手県の非常に近い、海から200mか300mくらいしか離れていない保育所は津波で完全に土台だけ残して流出してしまっているのです。丁度ご承知のこの2時46分という時間は、保育園ご承知の方はおわかりだと思うのですが、丁度午睡で起きるくらいの時間帯になる訳です。お昼寝が終わって着替えをする時間帯、丁度その最中に起こった。これが功を奏したのか、よかったのか幸か不幸か非常に難しいことになる訳ですが、ある意味では保育士の方が保育士が全体をまとめて管理する意味では非常に好都合の時間帯であったと言えますし、ある意味ではパジャマを着替える時間帯なので非常に色々手間取る、子供が、保育士さんとしては非常に手間取る時間ということでした。それは幸か不幸かはともかくとして、そういった状況であったと。その保育園ではすぐパッとパジャマに着替えさせて、グループごとに園庭に出して、決められたグループで、準備の整ったところからすぐ避難をスタートさせたということでございました。赤ちゃんが5人いたようですけれど、それは全て保育士の方々1人1人おんぶして、1歳の子供さんについては、お散歩等に出かける時に子供さん乗せて移動する、昔のリヤカーのような車があるんですが、それに乗せて、18人の子供さんを2台の車に乗せて避難させた。それ以外の2歳以上の子供さんについては、基本的に、年長の子供さんがその歳の下の子供を手を引いて移動したということで、実際に流出した保育所の所を発って小高い所を集会所のような所、そこまで結構な距離が、坂道がございますけれど、やっとそこまで辿り着いたところです。後ろを振り返るともう保育園が流されていたということです。そこで、これは危ないということで、さらに高い所に山の中に入ったとゆうことで、そういった判断をすることによって、全ての子供さんと職員の方についても一切被害はなかった。そういった状況がございました。
そこで結局、丁度寒い時ですけど、子供達も着の身着のまま、みんなで固まって暖を取っていた。ただ、かなり時間経ってから、数時間経ってからですね、そこに避難するようにという情報が入ってきたものですから、園長先生は基本的に携帯と子供の名簿だけ持ち出したということでしたが、そういった連絡が入ったことによって、そこに移動できた。ただ、数キロ離れた場所なので、なかなかそれも大変だなとゆう状況だったようですが、たまたまそこを通りかかった車があって、乗せていただいて、何とか避難所に辿り着くことができた。これも既に夜遅い時間になったようです。保護者の方との連絡も取れない、保護者の方々も主体的に自分の子供達がどこに避難しているか探り当てて順次、迎えに来たようですが、最終的に子供さんを親御さんに、最後の親御さんにお渡ししたのは4日経過していたということでした。避難した最初の晩に、その避難場所に行くと、タクアンを1切れずつ子供達にいただいたあとで、おにぎりがいただけるからその時に一緒に食べようねと言っていたがおにぎりは来なかった。その晩はタクアン1切れで過ごしたと。ただ、その時に、本当に小さい子供達が一切、泣き叫んだり、不平不満を言ったことはなかった、ということでした。異常事態というのを子供なりにやっぱり感じているということかもわかりません。そういったことで、非常に子供達もそういうことに耐えながらも、避難して親御さんが迎えに来るのを待ったということでございました。
また、こういった保育園もございました。それは、保育所の場合は月に1回、児童福祉施設の最低基準、6条で月1回必ず避難訓練、災害を想定して避難訓練を義務付けられております。で、ここも当然、義務付けていますのでやっておった訳でございますけども、ただ、今回全体的に見て感じましたのは、いつもと違うということをどうも最初に感じられたみたいですね。いつもと違うと。そのことによって、さらに高い所に、という避難をしたという方々が非常に助かったと。これは介護施設のことですけれど、宮城県ですが、仙台空港の近くにある所、空港も相当な影響を受けました。この施設は通常の避難場所、地震が起こって4分後に通常の避難場所ではない仙台空港に避難することに決めた。30分後に全部避難を終えてしまった。これも相当な作業だったと思いますが、高齢者で車いすの人もあれば、1人で歩けない人もたくさんいらっしゃるわけですけど。ところがですね、別の施設では、通常の避難場所を想定して移動を行った。100人近い方々が命を失った施設もございました。そういう意味では今回、大きく違いを感じたことによって、判断をしたとことしないとこと大きく分かれたなという感じがしております。
ちょっと話が逸れましたが、別の県では次の報告も聞いております。通常保護者の迎えの訓練を年間、数回やっておるようですが、それぞれ保護者に様々なこういった場合の為のお迎えのルートを確保していただくようにお願いしておったようです。このことによって保護者が非常に早くお迎えに来て、殆ど被害がなく子供をお返しすることができたと。一応そういった視点、そういったものをそれぞれ踏まえて欲しいということのようです。そういったことありました。それから、ここは上から100m位しか離れていない、100mも離れてなかったと思うのですが、非常に海に近い所にある保育園ですが、やはり、午睡のお昼寝の終わり頃で着替えをしているような状況だったのですが、大急ぎで着替えをさせまして、問題は服は着替えたけれども靴を履かせるかどうか、ということが非常に大きな問題になるということです。保育園の玄関、そこを見せてもらったのですけど広い方ではない。そこでごった返していると時間を食ってしまうということで、あの寒い時でしたけれど靴は履かない、靴は保育士が大きなビニール袋に入れてまとめて運んで子供は裸足で避難をしたと。そのことによって津波の影響を受けずにすんだということでした。
そういったこと、何故これを申し上げるかというと、非常に短い時間で正確な判断をして行動を起こす必要があったということだと考えられます。親御さんがお迎えに、保育園としては親御さんにお子さんをお返ししたものの今から家に帰ったのではもう間に合わない。だから一緒に逃げましょうということで、親御さんをその子供をお渡しした親御さんと一緒に避難しましょうということで移動を始めたのですが、途中で親御さんが勝手に判断してはぐれてしまった。その結果、その親子は人命を落としてしまったと。避難した保育所の職員の方々とそれからその引率された子供さんは一切被害はなかったという状況でございます。今回、津波ということによって、わずかな時間の違いで生死を分けるような事態が起こってしまったということです。
そういう意味では、先程、渡邉さんの方からお話ございましたけれど、訓練というのがいかに今回大事だったかということ。それは子供達にいざという時に意識付けをする、ということ。それから訓練をすることによってです。加地さんからお話ありましたけれど、新しい発見があって新しい問題点を気付くことができて、さらに改善をして、より安全な関係を作ることができる、ということにもつながっていくんだろうという気がしますし、先程最初に申しあげた事例のようにですね、その訓練を地道にやってきたことによって、子供達そのものが整然としていたという話の報告を受けましたけれど、普通でも泣き叫んでもおかしくない状況だと思うのですが、非常に整然としていたということ、子供がその事態を受け止めてしっかりした子供なりに行動を取るということ。お腹も空いたでしょうし、泣き叫びたい気持ちも多分あったと思うのですが、そういったことが殆どなかったということ、それも1つはやはり訓練の問題、それからこれも先程話に出ておりましたけれども、保育士はお母さんに代わって子供と接する立場ですので日頃の信頼関係、そのことによって整然とされた行動がとられたことも言えるかなという感じがしております。
私の方からは、被災地でのいくつかの状況のご報告をして終わりたいと思います。
長田氏:ありがとうございました。橋村さん、お願いします。
ベネッセ次世代育成研究所
橋村 美穂子 氏 |
橋村氏:私はベネッセ次世代育成研究所の橋村美穂子と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
はじめに私のことについて少しご紹介させていただきます。私は幼稚園や保育園の園長先生向けの情報誌の編集を担当しております。その取材の中でたくさんの園長先生の声を聞く機会がございますので、今日は園長先生の声をお届けするためにやって参りました。プライベートでは現在4歳の息子の母親でもございます。
渡邉先生からもあったのですが、私も3月11日の日は丁度会社におりまして、会社にいたものですから、すぐに帰らなければいけないという風に思ったのですが、なかなか、周りの会社の同僚などはすぐ帰るというような状態ではなく、子供のことも気になるのだけどどうしようと思いながら、ちょっと様子を1時間ほど見ておりました。その後電車が止まっているということがわかりましたので、これはもう歩いて帰るしかないという風に思いまして、5時間程かけて保育園まで息子をお迎えに行ったのですけれども、ちょうど、オフィスと住居が離れておりましたので、非常持ち出し袋の中にスニーカーを入れておりましたので、それを履いて何とか5時間歩いて帰ることができたということであります。5時間歩いて帰った後に保育園に迎えに行ったところ、保育園では先程菊池先生の話にもあったのですが、保育園の園児はもうみんな訓練をしておりますので、本当に落ち着いて皆すごく落ち着いて待っていられたというような話を園長先生から伺いました。で、私が9時くらいに迎えに行った時は、大体100人位の園なのですが、残りの3人の1人に息子がいたのですが、園長先生と主任の先生と事務の先生がみんなで非常食を食べながら待っていていただきました。もうそれを見た時はやはり、会社と家も離れておりますし、身近に子供を見てくれる両親などもおりませんので、こういう災害時に子供をいかに守るかというところがすごく私にとっては大きな課題に感じました。そのような園長先生の耳にする機会があるということと、あと一保護者という立場から今日は少しご提案ができればと思います。
ではまず、ベネッセ次世代育成研究所のことについて少しご紹介をさせていただきます。私共は乳幼児の子育てや幼児教育といったテーマでお父さんお母さん向けの調査ですとか、あと、先程私申し上げましたこれからの幼児教育という、これは私が担当しているんですが、こういうような情報発信を行っております。研究内容や発刊物に関してはホームページをご覧いただければ幸いです。
それでは今日の話のポイントを3つご紹介いたします。本日の話のポイントですが、弊社の研究所が行っております東日本大震災後の保護者と園の、園長先生を対象にしたデータを中心にお話しします。1つは乳幼児のお母さんを対象にした調査データ。もう1つは園長先生を対象にしたデータをご紹介いたします。その2つを踏まえまして3つの提言をさせていただければと思っております。
それではこれからお母さんに聞いた調査データから少しご紹介します。詳細に入る前にこの調査の概要を簡単にご説明いたします。この調査は、今年の5月の下旬に、0歳から5歳の子供を持つお母さん約3000人を対象にしまして、大震災後のお母さんの子育て状況について聞きました。調査地域ですが、これは首都圏と首都圏・東北以外の地域というのを対象にしております。東北の地域は被災された方への配慮という点から今回は対象地域には含めておりませんでした。
では、ここからはデータの方に注目いただければと思います。震災や原発事故に関する情報で信頼できるものは何か、という風に尋ねた結果です。まる囲みの所を、下のまる囲みの所を見ていただければと思うのですが、信頼できる情報がないというお母さんが3割という結果がこのデータから特徴的なことかと感じています。このデータは3つの棒があるのですが、1番左は全体を表す項目、真ん中は首都圏、1番右は首都圏及び東北以外の地域を表しています。アンケートで自由記述の声ですが、その声を1つご紹介いたします。震災前はニュースを鵜呑みにしていたのだけれど、子供を守るためには何が正しくてどういう行動を取るのか自分の頭の中で考えなくてはいけないという風に思うようになったという、これは1歳児のお母さんの声ですが、そのような声もたくさんありました。信頼できる情報が少ない中で、子育てとか生活に必要な判断というのを独自に頑張っていらっしゃるのかなというのがわかるかと思います。
次の項目に移ります。これはですね、首都圏のお母さんに子供の接し方について聞いた結果です。この結果からはお母さんの子育ての余裕が減っているということがわかるかな、という風に思います。この質問は、震災前に首都圏のお母さんに同じ項目を聞いておりまして、左の方が震災前、右の方が震災後を表しております。グラフで矢印のついている部分にご注目ください。温かい気持ちで子どもに接しているかどうかというところを全体で聞いているのですが、当てはまると答えたお母さんが震災前よりも大幅に減っているということがわかりました。こちらもアンケートの声で見られたお母さんの声を1つ紹介します。震災以来イライラすることが増えてしまって子供に当たることが出てきてしまいました。反省しているのにまたイライラしてしまう。そんな自分が嫌になります。これは0歳の子供を持つお母さんなのですが、このような気持ちになる背景としてある専門家の方は、震災とか原発事故というものから子供の命を守るという使命が震災によって発生した、ということでこのような葛藤が表れてきているのではないかと申し上げていました。
では、次のスライドに移りたいのですが、こちらはちょっと、時間の関係もございますので、割愛させていただきますので、次の親子編の「園に求めるもの」という風にお手元の資料を見ていただければと思います。お母さんを対象にしたデータの最後は、園への要望というものを紹介いたします。グラフの方をご覧ください。こちらはですね、全国で聞いているのですが、首都圏とそれ以外の地域という風に分けてデータをご提示しています。上の4つのまるぽこの項目を見ていただければと思うのですが、特に、首都圏で高いのは施設の安全対策ですとか、緊急時の対応への共有や連絡手段というようなところでした。そのまるで囲んである所は、首都圏とそれ以外の地域を比較すると5ポイント以上の差が見られているということがありますので、震災の影響によって首都圏のお母さんは、特に園への園の防災対策というところにとても意識が高くなっているというところがわかるかと思います。
次からは園長先生を対象にしたデータをご紹介いたします。まずデータは2つあるのですが、それに入る前にこちらの調査概要を簡単にご説明いたします。この調査はですね、今年の5月にこれからの幼児教育の読者である園長先生約200名に園の防災対策についてお聞きしたものです。このグラフを見ていただければと思うのですが、これはですね、震災後に園が見直した防災対策を表した結果になります。こちらは左の方が幼稚園、右の方は保育園を表しております。あの、ピンクの方が幼稚園、ブルーが保育園を表しています。幼稚園・保育園共に高かったのは防災訓練ですとか避難訓練の進め方というものでした。次いで、子供の防災教育や緊急時の対応を保護者にどう発信するかということでした。で、これに加えて保育園は水や食べ物の備蓄というものが多く選択されております。この背景として、やはり保育園は乳児がいる場であるということですとか、長時間保育が幼稚園と比べて長時間の保育を行っていることが関連しているとゆう風に言えるかもしれません。
最後は、先生方がこれから知りたい防災対策について複数回答で聞いた結果をご紹介いたします。先程は園が見直した防災対策なのですが、こちらは園が知りたいという、先生がお答えいただいたものになります。特徴的なのは、幼稚園と保育園で知りたい情報に大きな差があるかということです。幼稚園の方は緊急時の家庭との連絡手段ですとか災害時の想定というところが多く選択されています。一方、保育園の方は備蓄。ブルーのグラフが1番伸びているところですが、備蓄というところが最も多く選択されています。次いで防災教育や保育というところに続いています。幼稚園と保育園でこれだけ大きな差があるっていうことはありますので、それぞれの園の状況に応じたその対策が求められているかと言えるかと思います。調査結果のご紹介は以上になります。
3つの提言につきましては後程また触れたいと思います。
長田氏:どうもありがとうございました。今の4方の報告で、皆さんも色々感じるところがあったと思うのですが、4人の方の発表でお気付きかと思うのですが、やはり、いざという時に情報がない、これが大きな問題ということは1つあるかと思います。それに訓練が大事であるとか、それからスピードが大事であるとか、色々、ルールとかあると思います。1つ共通的なものとして、これがもし首都、首都圏で起きた場合、どうなのだろうか。東北も1つの大きな町はありますけれども、それと比べようもなく、比べようもなく東京で起きた場合、どういうことができるだろうか。我々は真剣に考えていく必要があると思います。私も午前中、各社のブースを見て回ったのですが、防災用品、防災グッズはあるのですけれども子供を対象にしてある会社はなかなか見当たらない。非常に問題じゃないかと思うのです。もちろん、会社の社員を対象にだとか、組織を対象に展示してあるのはわかるのですけども、対象を子供に特化した会社、企業というのが私では見当たらなかった。この会場見渡しても、やはり子供っていうことに対してまだまだ関心が少ない。このことは、私共のクライシスマネジメント協議会でもこれからも十分訴えていこうと思っておりますけども、災害から子供を守るという視点があらゆる社会のあらゆる場面で必要ではないかと考えております。そのようなことで、加地さんからお聞きしたいのですけれど、今、発表の中で男の子は怖いけど女の子は割と平気だという状況。それは防災道を教える場合も男子と女子で違いがあるのかといった点は、どのようにお考えでしょうか。
加地氏:私がお子さん、小さなお子さんにちょっと興味があったので、それともう1つ。麹町学園と申します学校が千代田区麹町3丁目の方にありまして、区がそこで防災訓練を地域の方とそれから行政の方、そしてそのクラスの女性達が一緒に防災訓練を4時から5時くらいまで行った時に私も参りました。そこで、お母様が小さな男の子を連れて地震の体験に、それから煙の体験に来ておられた。お嬢さんを連れている方もおられた。するとやっぱり男のお子さんは地震体験が嫌なんですね。女のお子さんはちゃんとやっているんです。大体同じ年齢ですから、私もそこのところがちょっと女性的に火事場に強いのかなっていうのも、偏見ですけどね、私ちらっと思った次第でございます。でも、そういったこともあるんだってことも子供達が見ていくこと、地域にああいうお子さんがこの地域にいるんだなってことを企業の方々もそこには大変いらしておりましたので、あっ、そういうもんだなってことを顔見知りになる。地域、行政、そして企業の方々が皆さん一緒になって、こういう人もこの地域にいるんだなということを知ってもらう機会がやはり頻繁に行われているということがとても重要だなと思いました。
長田氏:ありがとうございました。私聞いたのはその汐留地区で企業と汐留地区のマンションで住民の方とで防災組織を作ろうとしてもなかなかうまくいかない。企業目的と住民の考えていることがなかなか馴染まない。そんなことも聞きまして、さもありなんと思っていますけども、どうやって連携するか、課題と思っていますが、住民と企業の訓練とか防災の取り組みについて、何か加地さんご存じのことありましたらお話し下さい。
加地氏:そうですね、企業さんと住民と、それから行政との取り組みはちょっと話が逸れますが、ワークライフバランスの推進でも1番大事なのは実は定理の共有で、2番目は制度の確立、そして3番目は制度を実践するために社内の雰囲気を良くする、そして4番目が社会的責任を全うするというところで、まさに各企業様は企業の、いわゆる企業市民ですか、それでその地域に是非お力をいただきたいという風に私思ってきました。理由は、首都圏の方々はご自身の住宅とそれからお子様を預かってもらえる幼稚園の場所と住宅がまずバラバラでございます。同じ地域にはまずないと思います。そうしますと、ご自分のお子様は離れた所の地域でお世話になるのであって、逆に言うと、ご自身の勤務している企業様は是非その地域の保育所なり幼稚園の幼子達に是非お力を貸していただきたいと思っております。理由は保育所も方々は先程菊池先生お話ありましたけども、赤ちゃん、0歳、1歳、2歳のお子さんは背中におぶっても人間ですから思うようにいかない。そうすると地域の方にお力いただかないと、いざという時に避難はできないのですが、そこで問題は保育所の方が仰ったんですが、どなたでもいいから目の前の方に預ける訳にはいかないと。理由はご両親様から宝物としてお預かりしているので、信頼関係ある方だったら助けていただくお願いできるけど、現実問題としては、はい、お手伝いしましょうって子供をすぐ渡す訳にはいかない。ここは私1つ大きな問題、課題であると思っています。
長田氏:ありがとうございます。次に渡邉先生、私立幼稚園と公立幼稚園と情報、行政の情報の格差と先ほど仰ったんですけども、これの問題をどういう風に解決しようというか、動きはいかがでしょうか?
渡邉氏:この問題はですね、今回大きな、私共の課題でございます。私は横浜でございます。横浜市はまず公立幼稚園がございません。1園もございません。従って幼稚園というのは学校ですけども、許認可権は県なんです。そして実際私達は横浜で幼稚園の経営をしているんですね。そうすると、横浜市の行政は許認可権は県でございますから、どちらかと言うと、横浜市の直接の行政の傘下にない、こういう意識があるんですね。でも、私達は横浜市の子供達をお預かりしていると。こういうことになりますので、今回改めてこの問題が、今回のこの大きな災害がですね、この行政の連携ということについて大きな課題になっていると課題をいただいたんですが、改めて私共は横浜市幼稚園協会と横浜市の方とですね、直接このことについて色々と協議を重ねて、今後、連絡が速やかに取れるような方法を取ろうと、もう大分作業は進んでいるところです。やはり私達からすると、情報の伝達というのは非常に大事でありまして、ラジオだとかテレビだとかネットですとか、あるいは携帯で色々ありますけれども、1番大事なのは地域の情報なんですよね。地域の情報と、それからもう1つは親御さんとの連絡。この2つはですね、とても大事なことでございまして、何とかこういうことは今後色んな形で確立できるようになるといいなと。もう1点言いますと、実はこれは保育所も同じですけども、災害時の緊急電話という仕組みがNTTだけあります。私今回、幼稚園の施設がいくつかあるのですけども、それ以外のとこに、私共の事務系の職員が電話料が安い方がいいだろうということで他に変えたのです。そうすると、変えた電話については緊急連絡が使えない。改めて今回このことが起きまして、全部電話の回線をNTTに変えました。こんなことも何でもないことなんですけども、これは親から電話が来ても繋がんないですけども、こちらから親御さんに連絡できるという、今、その法律を活用しているのがNTTだけでありまして、auですとか、あるいは他の所に全部問い合わせをしましたら、そういう仕組みはありません。ですから、こういうことも私達はもう一度考えておかないと、いざという時に役に立たないかなということを今回学びました。できれば民間の通信を担っている会社さんに、これは法律で決まっていると同時にそういう仕組みを持っていただけると私達からすると嬉しいなと考えます。これだけ状況が変わってきているのですから、そんなあたりでもっともっと広がってくれるといいなと切実に感じました。
長田氏:ありがとうございます。NTTで使うのは私もちょっと館内、イマージェンシーコールっていうんですか、このブースに行ったんですけども、そこで電源が切れたらどうするんですかと聞きましたら、電源切れたことは想定してない、って言うんですね。じゃぁ、NTTは大丈夫なんですか? 先生に伺うのは申し訳ないんですが。
渡邉氏:私、そこまでは確認しませんでしたけど多分、難しいかもしれません。それでですね、私は幼稚園で自家発電を持つ、自家発電があると役に立つということで、ホントかどうかわかりませんけども、民間ですから色んな情報入りますと結局、役に立ちそうな情報は取り入れて、実験してるんです。
長田氏:ありがとうございます。もう1つ、発電機とか灯光器購入ですけども園ごとで買ったら非常にコストも高くつくんじゃないですか?何か、幼稚園同士連携して購入するとかそういうことは?
渡邉氏:そうですね。この件につきましてはなかなか専門業者が見つからなかったんです。ある会社が見つかりまして、カタログを取り寄せて見たんですけども、やはり、その書いてある内容は子供よりももっと上の方を対象にした内容なんです。本当に欲しいものはなくても、最低限必要なものは揃えなくちゃいけないということで、今回は先程私申し上げた物を中心に購入したんですけれど、やはり私は乳児から幼児、小学校、小学生も対象にした子供向けの、何て言うんでしょう、色んな防災に係わる物がやはり必要なんだと。
これはですね、私達の業界で言いますと、そういう保育用品教材を扱っている会社があるんですね。大体日本では保育教材の5社っていうのがありまして、5つの大きな会社があるんです。そこの会社のカタログを見ますと、凡そ出てるんですけど、そういう子供向けの会社のカタログですらまだどちらかと言うと、大人向けの物が中心なんです。ていうことは、それだけまだ日本の企業の中にはそういう物に対しての開発が進んでいないということなんでしょう。保育業者がお金をかけて開発をするなんていうそんな余裕はないです。だから、私はこれからもっともっと家庭も含めて、あるいは地域社会も含めて、やはり子供向けの物が1番苦労します。ですから、そんな点を今後お考えいただけると、子供を預かっている現場からすると、非常に助かるかなと、そんな風に思います。
長田氏:もう1つ、そういうのを購入した時の補助金とかそういうのは?
渡邉氏:今回、神奈川県はですね、知事が変わりました。前知事が、幼稚園だけに特化して6億7400万円。つまり674の幼稚園に対して100万円ずつの補助金を落としてくれました。これを活用して今回県内の幼稚園は殆どこの震災対策・防災対策についての備蓄関係を整えた訳です。今後こんなことはありえないでしょうけども、たまたま国から落ちてきます補助金、子供基金の一部が余ったものですから、それを私は強引に1園100万円ずつ落とせと言って、知事に、今回交代しましたけどもその補助金で私達、滅多にこんなことございませんので、多分今後ないと思ますけども、そういうことでございます。
長田氏:ありがとうございます。では菊池先生にお伺いしたいのですけど、保育園の食糧備蓄と言うのは大体何日くらい、何人くらいを想定しているものでしょうか?
菊池氏:基本的に保育園の場合は、日々お預かりしてお返しをするっていう施設ですので、ある程度、それは用意しておくということは周知されていることでありますけども、そんなに何日分もということは。本当に緊急避難的に、一時しのぎ程度の物しか。ただ、最近はですね、水等についてはそれなりに結構何年も保存できるような物も出ておりますので、そういった物についてはそれなりに用意しておると認識しております。
長田氏:今回の震災で連携して、例えば東京の場合ですね、帰宅困難者が結構出たんですね。新宿区の区長と話しましたら、新宿区で備蓄はしてあるけども、それはその、帰宅困難者用というような特別な物はないんだと。ですから、もし、長期間に渡って災害が続いた場合、その備蓄は底をつくとそういうお話し伺いまして。帰宅困難者ですらそうだったらば、保育園で子どもを預かる。ましてや乳幼児を預かってて、その備蓄ってのはその、例えば法律的にその1週間とか、かなり十分な対応ができるようなことができないもんかと。その辺、どうお考えですか?
菊池氏:それはですね、保育所の場合はですね、1週間そのまま子供さんをずっと預かり続けるって、もともとね、とてつもない異常事態だと思うんですね。基本はやっぱりご家庭にお返しをすると、日々お返しをすると、大前提になっております。そして、もともと、そういった備えができてる施設ではない訳ですね。そういう意味では、要するに入所施設との違い、そこにあるんだと。入所施設の場合はですね、まぁ、介護施設、先程介護施設の話も少ししましたけども、今回もある施設ではライフラインが完全に途絶えてしまった。その時に電気は使えないけども全施設電化をした時にプロパンの機能を残していた。そのことによって調理ができたという話が。それ以外にもクックチルドを導入していたりですとかね、それからある一定の物を冷凍保存するようなこともシステム的にやってたことによって、被災直後から数日間はその食料不足しなかったというような状況があったようですが、これも4日間くらいなんですね、実は。4日間くらいなんです。ですから、基本的に保育所でというのはせいぜい1日・2日生き延びることができる、これは、幼稚園も同じだと思うんですが、そのレベルではないかなという風に思っております。
長田氏:それから、幼稚園でも保育園でも同じなんですけども、災害時に、その、教師、保育士だけで子供を全部守れるでしょうか?その辺はどういう。
菊池氏:これもですね、先程渡邉さんの方から地元との関係っていうのがあり、もう1つはもともと地元との色々な深い関係性を構築しながら、事業をやっているところですね。そういうからすると、私共の保育所でしたら通勤の途中、必ずご挨拶しなさいと、地元の方に。そのことだけでも人間関係が深まっていって、あの人はどこそこの保育園の、という話になるんですね。もう本当に単純なことなんですが、そういう変化が生じる。先程、加地さんの方からございましたけれど、宝物をお預かりしているんですから、非常事態だからって知らない人にお渡しする訳にはいかない、というお話ございました。それと同じ、それに付言してくる訳ですが、だからこそ日常的な色んなそういった関係を作るための手立てをきちっとしておくと、いうことが非常に重要なこと、これ、社会福祉制度全てに言えることだと思いますね。以前はこう、色んな保育所の中で色んなこう、侵入者の事件なんかがあったりしますと、そのセキュリティの問題が起こってですね、やっぱりもう全ての保育園玄関に鍵をかけるみたいなことになってしまいましたけれど。むしろそういうことではなくって、確かにそういう事故を防ぐことは重要だ。だけども、常時地元の方達が出入りできるような環境を作ってですね、そういった日常的に構築していくということを、多分今はそれを目指している保育園はかなり増えていると思いますね。まっ、そのことが、いざという時に非常事態に地域をお支えすることもあるし、逆に支えていただくこともあるとゆうことになる。最近、ちょっと少ないですけども、そういった地元との協定を結ぶようなところも、今出て来てる、一部には出て来ていると。先程、企業との関連ありましたけども、これちょっと私茨城県で、ちょっと今回訪問したとこですけども、たまたま町長さんにお目にかかることができましてですね、そこは日常的に企業を含めて全ての関係、町でしたけど町民の方々で連携して動くような体制づくりをできているというようなことを仰ってました。ですから、そこでは保育園児が避難する時も町ですれ違った人達が手を差し伸べることもできるような環境でありますよという話がございましたけれども、それはこれからは意図的に積極的に構築していくべき課題ではないかと思います。
長田氏:ありがとうございます。渡邉先生、今の件で?
渡邉氏:最近非常に悩んでおりますのは、これは都会の傾向なんでしょうが、自治会という日本の長く生活文化で培ってきた自治会という組織が、あるいは子供会という組織が都会ではどんどんどんどん崩れているんですね。でも実際に起きた時には、やはりこういう地域住民の繋がりってのがすごく大事なんですよね。これはあの、繰り返しますけども、地域防災やってましてつくづく思います。そういうホントに日本の社会という素晴らしい財産を持っていると思う自治会組織なんです。この自治会組織がしっかりしている所には、防災の色んな用具や器具がたくさんあるんですね。あるいは、きちっとした備蓄を持っているのです。ところが、持っている備蓄庫の機材等を一度行政から支給されたものを私達はもう手入れをして、手入れをして使い込んでいるんですけども、次の新しい物に変えることができない。ですから、この中で営業の方いましたらですね、これからはそういうところにもどんどんどんどん食い込んでいって私は普及して欲しいんですね。もう、ありとあらゆる手を駆使しても、私は子供達の命を守るということを先に生まれた私達が責任を持ってしっかりやってかなくちゃならない。そんなことを私は幼稚園を運営しながら地域の活動をしてますと、つくづく感じますね。以上です。
長田氏:ありがとうございます。
菊池氏:実はですね、私共社会福祉法人なんですね。社会福祉法人の役員構成、理事構成、理事会と評議会、その中にですね、地元の代表者を入れるって、行政指導上ございます。ある意味ではこういうこともですね、今回のようなこと、効することじゃないかなと気がしています。
長田氏:ありがとうございます。じゃあ橋村さん、先程養育行動が低下していると報告がありましたけども、その低下していることについて、どう考えればよいのでしょうか。
橋村氏:お手元の資料に1つまとめ、提言ということで発表しているんですけども、先程長田さんからご指摘ありましたように、お母さんの、震災後にお母さんの育児不安というのがすごく大きくなっているということの結果がございました。また、園でも防災対策というところで訓練や家庭との連絡ですとか、備蓄というところが重要視されているということがわかりましたので、この結果を踏まえて今、3つご紹介しているのですが、主に1番のところについて、説明させていただければと思います。
調査結果を拝見してやはり、保護者も、お母さんお父さんも園も家庭内ですとか地域内のネットワークづくりというのが大事なんじゃないかと考えています。というのは、次のスライドに少しご紹介、お手元の資料にご紹介していますのでそちらをご覧いただければと思うのですが、夫の協力、お父さんの協力ですね、とか地域のつながりがあると、お母さんの子育てに対する不安というのが抑えられる、という風な調査結果が出ております。で、そういうところから見ても、基本のネットワークというのが災害に対するお母さんの不安というものを和らげて、それが結果的に子供の心の安定につながるという意味で子供を守るということにつながっていくのではないかと考えています。アンケートの声で1つ、またご紹介できればと思うんですが、震災後にですね、自分の子供のことを気にかけてくれる地域の方を増やしたいと思うようになりました、というような声があったんですが、この声を見たときに私も一保護者として大変共感をいたしました。先程申し上げたのですが、私も地方から出てきてまして、双方の夫も私も両親が近くにいない中で子育てをしておりますので、緊急時に衣食住が近接している訳ではないので、なかなか帰るのにも、帰宅困難者になったというのもあるんですが、緊急時にどういう風に子供を守っていくかというのは大変大きな課題だという風に思っています。私の場合は3月11日に電車が止まったことを知った近くのファミリーサポートさんという、いわば有償ボランティアで子供を見てくださるような方が、地域にお願いしている方がいるんですが、その方にすごく、息子が0歳の時からお世話になっておりましたので、その方が電車が止まったということを知って、これはもう私の、母親の代わりに迎えに行かなくては、という風に思って保育園まで行っていただいたっていうことがございました。それを歩いて5時間かけて帰っている時に電話でお聞きした時には涙は出たんですが、もうそれと同時によく地域の中にそういう存在が、そういう方がいらっしゃるということはもう、心の支えと言いますかそういうものになりましたので、やはり日頃からのネットワークっていうことを地域の中で作っておくということは、私も一保護者としてひしひしと感じました。
長田氏:ありがとうございます。それでは、一度最後に一言ずつ、皆さんから、順に今日の話を全体通してお願いします。
加地氏:私は先程最初の話、防災道の件で1つだけ付け加えさせていただいて、次の方にバトンタッチしたいと思います。実は先程お話したように、子供達に防災を敢えて恐れるということを常にインプットしていくのと同時にやはり、プラスの部分も知らせてやりたい。そして、バランスの取れた子供達を育てたいと思っています。その中で、例えば、今ちょっとここにあるのがこんなことを子供達に知らせていけばいいのかなって。道路、例えば南天というものはお家にあると思いますが、この南天というのは難を転ずるものなんです。そのために古来、昔から大人の方々はお着物に南天の絵を入れたり、それからこういった工芸品のところのデザインに入れているんです。こんな風にして南天を大事にしてきたのですというような形で、その文化を知らせつつ防災の厳しさ、訓練を教えつつそしてバランスの取れたいわゆる日本、日本人であることの誇りとして海外に発信して、そして世界に誇るリーダーとなれる、そういったものを構築して、そして各市町村が競争なさればいいのかなと思います。やはり茶道もあらゆる競争の中で残ってきました。ということで、競争があったから、新しいものがあったと。だから防災道も各市町村ですね、それぞれが構築された中で競争なさればその素晴らしい、その構築された市町村にはより人が集まってその都市が発展していくと、そんな風に思っています。
長田氏:ありがとうございます。渡邉先生。
渡邉氏:今日は、実は今日を含めて大きな展示会を開くと、2・3日前のNHKのニュースで丁度聞きました。相当数な色々な商品が出ているようですけれど、もう一度お願いしますけども、子供向けの物をですね、どうしてもお願いをしたい。これは私が全日本幼稚園連合会の常任理事という立場からですね、お願いして、例えば、AEDありますけども今日、丁度私出てくる前に子供用のパッドを借りてきたんですけども、なかなか1つ1つ高いですよね。5年くらいすると全部替えないと、その都度私達負担をして替えるんですけども、でもこれは命を守るということを考えると当然のことなんですけども、やはり子供向けの物がとっても少ない。これは私、本当に全国の幼稚園、私立幼稚園8,000ございますけども、8,000の声を、今日代弁をしてお願いをしたいと思っています。できれば、手頃なお値段で、もう一つは高いお値段は国が補助を付ける、こういう仕組みができればもっと嬉しい。私達は限られた人材で子供達を守っておりますので、それに手助けいただけるようなことがあったらありがたいなと思っております。以上です。
長田氏:ありがとうございます。菊池先生。
菊池氏:冒頭に長田さんから大川小学校の話がちらっと出ました。私もいくつか、その、被災地の保育所、避難所を見て報告させていただきましたけど、非常に大川小学校、非常に不幸な事態に、結果になってしまった。一方、遥か遠くから大川小学校を眺めますと、裏山に避難した園児もおったと。何故、そんなことが起こったのかということは、まぁ、非難ということは誰にも非難できなくて、ホントにこういざという時にそこに係わろうと、いかに正しい冷静な判断をして、しかも、それを行動に結び付けていったかということが今回大きかったという風に思っております。そのことによって本当に生死を分けたということ、色んなとこの事例等を実際見聞きする中で感じました。冒頭に申し上げましたように、日本は地震国で5年に1回程度大きな地震が起こる。南海地震、東南海地震が30年以内に起こる確率が60%から70%あると言われておりますし、それ以外の被害もたくさん、今年も震災の後に水害です。、かなり和歌山、三重県、奈良の方が被害を受けたことですが、各地で起こっていると。本当にそういった時はやっぱり過去の被災の教訓を生かして備えをしておくということが非常に大切ではないかなという気がしております。三陸地方は過去に何度も大津波でとてつもない被害を受けている所です。にもかかわらず、片方ではそれが教訓として残っている人、片方ではですね、意外と軽く考えて被害を受ける人。結構高齢者の方でもいらっしゃる。地震があった。それまで農作業をやっていて、その農機具をしまってから避難しようとした。目の前で流されてしまう状況にありました。ですからその教訓が生きてなかった、むしろ残念な例ですけれども、やっぱり過去の被災の教訓というのは確実に生かして次に備えていくということを、繰り返し繰り返しやっていく必要があるんではないかという気がしております。
長田氏:最後に橋村さん、お願いします。
橋村氏:最後に一言申し上げます。今日は園長先生、全国の園長先生の代弁者としてやって参りましたということがありましたので、アンケートでたくさん出た声の1つをご紹介します。幼稚園ですとか保育園、また、公立とか私立っていうような垣根を超えた支援を全国の園長先生が求められているということをお話しできればと思います。やはり、どこに所属していても子供が全員平等に守られるように支援の輪を広げていただければということを最後に申し上げたいと思います。ありがとうございました。
長田氏:ありがとうございます。これでシンポジウム、終わらせていただきます。
ご紹介させて頂きますが、皆さんの非常に関心高い放射能、放射線のことで福島原発事故必携、対策必携ガイドというのが私共会員企業である近代消防社から出しております。これを、ブースで紹介しておりますから是非ご覧下さい。以上です。
司会:ありがとうございました。以上を持ちまして、セッション3を終了させていただきます。なお、西1・2ホールの会場では危機管理産業展2011を開催しておりますので、是非皆様会場の方にも足をお運びください。それではプレゼンターの皆様、ありがとうございました。