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東日本大震災の教訓を経た日本の危機管理の在り方
  〜米国FEMAの経験を踏まえて〜

第一回危機管理セミナー講演記録  

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2012年2月10日(金) 第二衆議院会館にて行われた、当協議会主催、神奈川大学・日本学術振興会・防災行政研究会共催による「第一回危機管理セミナー」の講演記録を記載いたします。

第一回危機管理セミナー

日 時   2012年2月10日(金) 15:30〜17:30
会 場   衆議院第2議員会館(地下1階 第一会議室)
(交通:地下鉄丸ノ内線「国会議事堂前駅」1番出口から徒歩3分)
セミナー  
挨  拶   小嶋勝衛 クライシスマネジメント協議会会長
講師紹介   務台俊介 クライシスマネジメント協議会理事
基調講演   米国FEMAの経験から見た日本の防災体制への提言
 レオ・ボスナー(元FEMA危機管理官)
シンポジウム   「広域災害とその対策」
コーディネーター   務台俊介   神奈川大学法学部教授
クライシスマネジメント協議会理事
パネリスト   井上忠雄   NBCR対策推進機構理事長
    清水真人   日本経済新聞解説委員
    村松岐夫   京都大学名誉教授
    小野次郎   元内閣総理大臣秘書官
    谷 公一   元兵庫県防災局長
主 催   クライシスマネジメント協議会
共 催   神奈川大学・日本学術振興会・防災行政研究会


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矢野義昭理事

司会:只今からクライシスマネジメント協議会主催、神奈川大学法学研究所、日本学術振興会及び防災行政協会研究会共催によりますクライスマネジメント協議会第1回セミナーを開催致します。なお本日司会を務めます私、当協議会理事の矢野でございます。宜しくお願いします。では最初に小嶋勝衛会長から一言ご挨拶を申し上げます。小嶋会長宜しくお願いします。

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小嶋勝衛会長

小嶋:本日は皆様お忙しいところご参集下さいまして誠にありがとうございます。今皆様のお手元にブルーの袋が配られているかと思います。私共のこのクライスマネジメント協議会は2010年の9月に石原信雄(元内閣官房副長官)を会長として発足しました。願うところは民主導と言いますか、民間の力、それは企業と地域、それに行政などを、三位一体でクライシスに対処していこうという、そういう意味の願いを込めて、有機的な連携を作りたい、そういう事で当協議会を作りました。その時は、実は阪神淡路の震災の経験その他を活かそうと考えていたんです。ところが半年経ないうちに3.11、東日本大震災が起きました。改めて未曾有の事が起きた場合の私達の対応の仕方という事について深く考えさせられました。改めて民間企業等の動きも観察しますと、実に沢山の企業が防災もしくは減災のアイデアを持って働いている訳です。それから、例えば千代田区、私は千代田区の都市計画審議会会長を長い事させて頂いておりまして、今、夜には4万7千人になりますが、約80数万人の昼間人口の千代田区に日本の極めて大きな企業の本社が集中しています。さて、これが一度起きた時にどうするのか、改めて整理をし始めると、大変考えさせられるものがございます。そういう意味も含めまして、是非皆様のお力をお借りしながら、民間の力というものの結集の仕方というのを考えていこうという思いでございます。

 まだ出来上がってから、まだこの会自体をどのように動かしていくかという事について、日夜議論しております。まだまだ定まっておりません。それも色んな経験、ご忠告等を頂戴しながら、願わくはより発展して社会のお役に立てたらという思いを強くしているところでございます。例えば今年になりましてから、袋の中に入っている「危機管理2011」という本を上梓致しましたが、この中身は実は関係する所の組織が既にご発表されたもの、それが入っています。各民間企業もそういう意味でどういう仕事をしておられるかという情報の共有をしようという意味でプラットフォームを作るという思いがあって、ここに集約している訳です。

 本日のこの基調講演並びにパネルディスカッションをして頂きますのは、当協議会にとっては初めての事でございます。講師をお願いしましたレオ・ボスナー先生は、色々な所でご発言されております。極めて近いところで1月にもご発表されておりますが、今申し上げましたような意図がございまして、改めましてまた、もしかすると違った角度のお話もあろうかと思います。私共協議会でお話して頂こうとお願いした次第です。本日のパネリストの方達には大変お忙しいところご無理をお願いしましたが、ここに参集下さいました皆様のご関心に心から敬意を表しまして、ご挨拶とさせて致します。どうぞ宜しくお願い致します。

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司会:小嶋会長どうもありがとうございました。続きまして当協議会の務台俊介理事から

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務台俊介理事

務台:皆さんこんにちは。ご紹介頂いたクライシスマネジメント協議会理事を拝命しております神奈川大学法学部教授の務台俊介と申します。私の方からレオ・ボスナー様をご紹介申し上げます。ボスナーさんは29年間FEMAに属しておられました。FEMAが発足して以来のベテラン職員という事でございました。ベトナム戦争のパラシュート部隊にもお入りになったという事でございます。

 日本との縁は10年程にマンスフィールド財団の前に招きで1年間日本に滞在しておられまして、阪神大震災以降の日本の防災体制の検証をなさっておられました。ボスナーさんは日本を去られる直前にレポートを書かれまして、日本の防災体制をいかに強化していけるのかという内容を報告して頂きました。私は当時総務省消防庁防災課長をしておりまして、そのレポートを翻訳しまして本にしました。その中身が非常に的を射ていた中身でした。と言うのは、全国の防災関係の人の意見を聞いてそれをまとめたものですから、的を射ているのは当たり前なんですが、当時中央防災会議の様々な局面でボスナーさんの提言は何らかの形で導入されたという経緯もございます。

 その後日本に年に1、2回ずつお越しになっておられましたが、たまたま昨年私共の神奈川大学が招きまして、3月9日に神奈川大学、それから松本市で講演会をして頂きました。そしたら2日後に震災が起きまして、実はその震災が起きた日に内閣官房の危機管理室に呼ばれていましたが、ボスナーさんはハードスケジュールで体調を崩されまして、内閣官房に伺えなかった。そしたらこの地震でして、ボスナーさんその日のうちに成田から何とかアメリカに帰ったんですが、やっぱり後ろ髪が引かれたらしくて、秋にもう1回来られました。それで震災の検証をもう1回行いたいというお気持ちもあられまして、私の方でボスナーさんと相談して、日本学術振興会の短期招聘のプログラムを探し出しまして、46日間こちらに滞在出来るという事で、実は2月23日までボスナーさんは日本におられます。その最後の局面でクライシスマネジメント協議会の今回の講演にもご参加されるという事でございます。

 ボスナーさんは日本語も相当お出来になりまして、今日は日本語によって講演を頂くという事になっています。日本の自治体の今回の災害対応の検証をして頂くという事でございまして、FEMAにおられた経験を踏まえて今回の政府自治体の災害対応がどんなものであったか、将来に向けてどうあるべきかという議論をして頂く予定になっております。ボスナーさんの問題提起を踏まえて、その後有識者の皆様を交えてのパネルディスカッションを行います。どうかじっくりと聴いて頂ければと思います。ではボスナーさん宜しくお願いします。

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基調講演「米国FEMAの経験から見た日本の防災体制への提言」

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レオ・ボスナー
元FEMA危機管理官

ボスナー:務台先生ご紹介ありがとうございます。皆さんこんにちは。どうぞ宜しくお願いします。1年前、東日本を破壊的な地震と津波が襲いました。何千何万の方々が亡くなられ、土地、財産の被害も甚大でした。被災者の皆さんの人命救助や生存者の皆さんのために多くの皆さんが活躍しました。彼らの勇気や献身と心は、全ての人が見習うべきであると思います。今、アメリカ人は皆、日本人のスピリットとエナジーを賞賛しています。

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(危機管理計画の必要性)

 今日、地方自治体の危機管理計画について話をしますが、私が何故地域の危機管理計画について話をするのか。その理由は、日本でもアメリカでも大災害が起これば、政府はすぐに災害対応をしますが、問題は、政府が対応を開始するには時間がかかるということです。それに加えて、仮に災害現場が政府から遠かったら、もし道や橋が損害を受けて壊れていたら、もし通信システムが動かなかったらどうなるでしょう。災害対応の初動対応者は政府ではありません。初動対応者は地元なのです。地元の人達、地元の市町村、地元の消防、地元の医師、地元の市民なのです。もちろんひどい災害が起こると自分たちだけ100%の災害対応をする事は出来ません。しかし、仮にこの町にしっかりとした危機管理計画があれば、すぐに次の事をする事が出来るのです。損害を評価し、必要なものを確定する。資源を出来るだけ効果的に使う。県や連邦政府からの援助を要請する。外部のグループや部署と一緒に協力する。そうしたことがスムースにできるのです。

 今日は地方自治体の災害対応計画に関して、4点について話をします。災害対応計画に不可欠な概念、災害対応計画の典型的な形式、どのように危機管理計画を作るか、災害対応計画の演習の4点です。これは地方自治体の計画の話ですが、政府や県も同じ様なプロセスで危機管理計画を作る事が出来ます。そして色々な企業や事業所も参照できます。

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(災害対応計画におけるAll Hazards Planningという概念)

 災害対応計画に不可欠な概念はAll Hazards Planningと言います。All Hazards Planningとはどのような内容なのでしょうか。何故この概念が大切なのでしょうか。それを説明します。

 ある町には様々な危険が潜んでいます。例えば地震、津波、火災等です。その上に様々な想定外の災害が起こります。例えば飛行機の墜落や地雷や爆弾テロ等です。そうした場合に、この町は全ての災害の準備をしなければなりません。更に世界には危険が沢山あります。もし危険な薬品が手に入れば、薬品管理についての方法が必要です。この場合、計画が危険の原因、災害によってそれぞれ作られていきます。例えば洪水対応計画、地震対応計画、爆弾テロ対応計画等です。実はこのやり方では、計画が複雑になり過ぎます。

 All Hazardsという取り組み方は正反対の手法なのです。All Hazardsの計画は、災害の原因にはあまり拘りません。災害の対応の仕方を重視します。例えば、もし大きな建物が倒壊し、人々が建物の下に埋まってしまったとして、どんな対応が出来るでしょう。捜索救助、収容、病院の準備等が出来るだけ早く必要です。その場合、建物が倒れ原因が地震が事故か爆弾テロか、ということは、災害対応の観点からは重要ではありません。大切なことは、捜索救助チームを早く派遣する事です。

 このような考え方があれば、ほとんど全ての災害に早く効果的に対応する事が出来ます。1994年のカリフォルニアのノースリッジの地震の現場に、FEMAは捜索救助チームを派遣しました。1年後のオクラホマシティ爆弾テロ事件の現場にも捜索救助チームを送りました。派遣されたのは同じチームでした。ですから、私のアドバイスは、初めに地震対応計画を作るのではありません。津波対応計画を作るのではありません。洪水対応計画を作るのではありません。最初にAll Hazardsの災害対応計画を作っていきます。All Hazardsの計画を使えば、大きな都市も小さい町も出来るだけ効果的に災害対応する事が出来ます。

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(災害対応計画の内容)

 All Hazardsの計画の典型的な形式は、Functional Approachと言います。この形式について話します。このFunctional Approachの計画には4つの主要な部分があります。基本的な計画、役割に関する部分、特定の危険に関する部分、SOPs(Standard Operating Procedure)の4つです。

 基本的な計画では、ある町の危機管理計画の要約をします。例えば危機管理政策、町の危機管理オフィス、その組織編成を説明し、地域の災害・危険を論じます。そして危機管理の任務を割り振ります。そして災害対応をどうやって起動するか、災害対応計画をどうやってマネージするかを説明します。町によっては、より詳しい情報を加える事が出来ます。

 次に役割に関するチェックです。役割のチェックはより具体的です。このチェックには計画の中の機能・役割のリストがあります。例えば医療の役割、捜索救助の役割、交通規制の役割、警告・警報の役割、損害評価の役割、避難所の役割。このリストはオフィスのリストではありません。組織の名前でもありません。役割とは機能とか任務のことです。

 次のプロセスは役割の当てはめです。どのオフィス、組織がそれぞれの役割を担うか決めていきます。医療の役割になると町の病院、捜索救助の役割になると町の消防署、交通規制の役割になると町の警察になるでしょう。それぞれの役割を適切な組織に割り振っていきます。それぞれの組織が自分の役割を担う事になります。

 次のチェックは、特定の危険に関する詳しい情報を検証します。それぞれの災害には特有の特別な状態と課題があります。このチェックには地元で最も起きやすい危険を説明します。地震、火山、津波、台風、洪水、危険な化学製品。それぞれの危険に対して、その危険の詳しい内容、地元の危険な場所、その危険な特別な問題、地元のその危険に対する警告のシステム、避難所のシステムを、そしてもし危険の特別な問題があれば、役割のチェックの際に危険の問題を説明します。例えば、地震と津波とではそれに伴う災害対応の内容と役割は異なってくる。地震が起きた際の医療対応と洪水や津波の際の医療対応では内容が異なってくるのです。

 次にそれぞれの役割を持った組織は、自分のSOPsを作ることになります。SOPsは任務遂行に当たってのチェックリストです。電話・警報の手段、通信の手順、報告の手順について決めます。職員は自分のオフィスにいる時は対応しやすいが、例えば橋が崩壊し職員がオフィスに参集できない場合にどうするのかと言ったことも想定しなければなりません。災害時には想定されない事態が生じうるので、災害が起こればSOPsによって組織の職員がすぐに対応できるように準備しておかなければなりません。これが地元の危機管理計画です。

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(災害対応計画策定のプロセス)

 次の問題はどうやってこのような計画を作るかというという点です。この計画を作ることは地元の危機管理のトップの人の責任です。しかしその計画を1人で作るべきではありません。危機管理計画を作るのも使うのもチームの努力です。もし地元のある組織やオフィスに災害対応のオフィスがあれば、そのオフィスが計画を作る時にどのように役割を果たすかです。

 次のようにすべきです。それは計画を実用的にすることが大切です。計画の問題を災害が起こる前に発見すると、是正する事が出来ます。組織の職員が災害対応の任務を良く理解するようにします。災害が起こった時に全ての組織が一緒に協力する事が出来るようにします。どの組織を危機管理の対応メンバーとすべきなのかについては、自治体よって部署の名称が少しずつ異なるかもしれません。その組織は、市長、危機管理局、財政局、民生局、警察、消防のようなところです。

 災害対応の際に、最も大きな問題は調整の欠如だそうです。病院には自分の災害対応計画があります。消防署にも自分の計画があります。自衛隊には自分の計画があります。全ての組織やオフィスに自分の災害対応計画がありますが、もしそれぞれの計画がお互いに良くマッチしなければ、混乱が起きます。例えば住民は早急に物資を確保したいのですが、道や橋に損害が生じた場合にどうなるでしょう。地元の自治体は県から必要な物資を確保したいのですが、どの物資が最も緊急性が高いでしょうか。せっかく自衛隊のトラックが地元に物資を届けてくれても、対応できる職員が足りないとどうなるでしょう。

 計画を作るには4つの主要なステップがあります。危険のリサーチ、計画の開始・展開、計画のテストと検証、計画のメンテナンス。このステップについて話します。初めに危険のリサーチです。リサーチは地元にはどんな危険が存在しているか、どんな災害が起こる可能性があるか、地震、津波、原子力発電所の事故等、危険を列挙していきます。危険の影響についても、地域のどこに影響が起こるか明確にします。どの危険が一番危ないのか、色々な災害のシナリオについて考えていきます。地元にはどんな災害対応の資源があるか、災害が起これば必要な資源はどこから調達できるか、のリサーチも必要です。

 次は、計画の展開ですが、リサーチの結果によって計画の下書きを書きます。全チームメンバーに下書きを送り、会議を積み重ねなくてはなりません。次第に最終計画が現れてきますが、これはまだ本当の最終の計画にはなりません。

 計画のテストと検証をしなければいけません。ある計画が机上のものとしては素晴らしくても、実際にはあまり良く動かない事がままあります。例えば計画によると、災害が起これば、ある部署が災害対応の仕事をする事になっていても、往々にして問題が起こります。この部署の職員は災害対応のトレーニングを既に受けているのか、もしこの職員が直ちに災害の現場に行く役割になっているとして、実際にその準備はできているのか、もし災害が週末や休みに起きたとして、多くの職員の名前や電話番号は分かっているのか、実際に連絡出来るのか、もしある部署に災害対応の任務があればこの部署には必要な予算と法的な権限が付与されているか、この部署の計画は多くの組織の計画と整合的であるか、などです。

 実はこのプロセスはとても大切ですが、実施は容易ではありません。初めてのテストと検証のプロセスはとても大変な仕事です。会議と話し合いが幾度となく必要になります。このプロセスによって計画の中の問題点を発見して改善する事が出来ます。しかし、時々組織や部署の中には問題について話し合いたくない人がでてきます。その人の人間性が問われます。このプロセスは時間がかかります。政治家は問題の回答をすぐに欲しがります。計画の問題点を是正するにはお金がかかります。お金がかからなくても、官僚はしばしば従来の方法を変更する事に抵抗します。その上に政策の優先事項があります。

 私がFEMAに在職した当時、FEMAは2度この大切なプロセスを省きました。両方そのことによりFEMAの災害対応計画は失敗しました。1992年のハリケーン・アンドリュー、そして2005年のハリケーン・カトリーナの対応の際に計画が失敗しました。

 一方で、1993年にクリントン大統領の時代、FEMAのウィット長官は現実的な計画を推進しました。それから計画のテストと検証のプロセスは1年間以上かかりました。しかし現実的な計画があったおかげで、全ての災害にすぐ効果的な対応をする事が出来ました。

 最後に4のステップ、計画のメンテナンスです。最もしっかりした計画にも様々な問題があります。ですから全ての災害対応計画には見直し・改定のプロセスが必要です。災害の後、このステップにより災害対応を再検討します。もし想定外の問題が起こったら、計画の変更をします。それから計画の変更を公布します。

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(災害対応計画の演習)

 最後に災害対応計画の演習です。アメリカでも日本でも災害実施訓練を頻繁に行いますね。例えば年に1回の防災訓練。災害対応の技術や災害現場での応急対応をテストする良い機会です。これはとても良い取り組みです。しかし、災害で一番ありがちな問題は、現場のスキルの問題ではありません。災害対応担当する人は既に自分の専門の事は出来ます。消防士は消防の仕事をする事が出来ます。警官は警察の仕事する事が出来ます。医師や看護師は医療の仕事をする事が出来ます。実際に、ハリケーン・カトリーナの際に最もひどい問題は、特に組織同士の調整に関する事でした。例えば災害訓練の際に、警察と軍人と調整が殆ど行われたなったために、大切な救助物資の配布を行うトラックは警察による道路封鎖により被災地に行けませんでした。

 昨年の東日本の災害の後で私は多くの災害対応を行った日本人から聞き取り調査を行いました。最初の頃の会話によると、幾つかありがちな災害対応の問題があるように感じられました。地元の役所の機能継続、損害の評価、県や政府との連絡、県や政府に対する援助要請、役割を持った組織同士の調整、地元の市民への連絡、外部のグループや組織との協力、ボランティアやNPOの人々の活用などでした。NPOについて言えば、日本政府にはNPOの活用を所管する組織は無いのです。そして更に、人や組織をマネージする事等が大きな課題として指摘されました。この課題リストにはスキルの問題はありません。自衛隊の人はプロですから本当に良く仕事をしました。問題は主としてマネジメントの問題なのです。ですから災害対応の準備ために、綿密なシミュレーションの演習をする事を勧めます。

 実際問題、11年位前、私は日本のある病院を訪問しました。この病院は最近応急災害技術の訓練を行いました。医者、看護師、消防等が参加しました。その際に、私は1つ質問を行いました。緊急時に病院に不可欠な機能は電力確保です。24時間電気を確保する事です。私の質問は、大災害が起こって電気が無ければ、24時間どこから電気を確保できるのかという点でした。病院の誰もがそれを分かっていませんでした。その病院は素晴らしい医師や看護師や職員が沢山いますが、もし電気が無ければ機能しないのです。

 シミュレーションの演習ではこのような難しい質問をしなければなりません。ですから災害実施プログラムのシミュレーションの練習も必要だと思います。演習について、インターネットで色々な情報源があります。例えばFEMAのウェブサイトでは、この演習の方法を勉強する事が出来ます。これはExercise Designと言います。このウェブサイトは良いです。そして医療災害援助についてとても重要な事はStrategies for Incident Preparednessと言います。これについて説明します。

 FEMAのウェブサイトには沢山役に立つ情報があります。例えば地方自治体の災害対応計画のガイドブックがあります。今日のスピーチはこのガイドブックを活用しています。このガイドブックは320ページあります。アメリカのものですから、全部英語です。日本政府は自分の対応計画の日本語のガイドブックがインターネットの情報であるかもしれませんが、多分ありません。これはアメリカのシステムですけど、日本にあるシステムとアメリカのシステムと比べてみたい人は沢山います。特に災害に関しては皆が興味を持っています。この事について簡単に説明します。

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(日米の災害対応の強み弱み)

 米国の災害対応には4つの主要な段階があります。最初の段階は災害被害の軽減または災害の防止です。将来の災害損害を軽減または防止する事です。例えば地震に強い建物を造ること等です。この対応により、まず災害被害に対応し防止する事が出来る。2番目の段階は災害に対して備える事です。例えば演習、トレーニング等。3番目は災害が起こった場合の対応です。救助等です。最後の段階、4番の段階は災害被害からの回復です。

 日本とアメリカとの比較を行うと、1番目の災害被害の軽減または防止については、日本のシステムがより強いと思います。例えば日本の建物は耐震性がとても強い。災害の軽減や防止のシステムについて、日本の方がアメリカのシステムより強いと思います。

 それから4番について、災害被害からの回復については日本もアメリカも問題があると思います。東日本の大震災の被災者の支援・回復が最大の問題ですが、アメリカのハリケーン・カトリーナの被災者の回復も大変な問題です。

 2番の災害に対して備える事について、日本のシステムは強い点も弱い点もあると思います。例えば強い点について言えば、、防災訓練があると思います。様々な災害訓練、災害の警告のシステムに秀でています。けれども日本には現実的で信頼できる演習が不足していると思います。日本の危機管理計画は余り現実的ではないと思います。日本の消防、自衛隊の人には災害トレーニングが沢山ありますが、市町村や自治体の職員、県の職員、NPOの職員には災害トレーニングのガイドブックすらあまりありません。アメリカではFEMAが州と町の災害対応ガイドブックを出版しています。そして州の職員にも市の職員にも沢山の災害準備のトレーニング講座があります。

 最後に3番目は災害の対応について。アメリカではFEMAが連邦政府の災害対応をマネージしますから、全部の組織が協力します。組織は州も市もNPOもこの同じシステム参画しますから、混乱が最小になります。日本にはそういう災害対応の本当の包括的なシステムが余りないと思います。もちろん災害が起こった時には皆助けたいです。自衛隊、消防、NPO、ボランティア、皆はすぐに災害現場に立ちます。そういう人々は大変な状態で勇敢に災害救助をします。問題は、それぞれの組織は自分の災害計画があり、自分のマネジメントシステムがありますが、色々な計画やシステムが相互に協調状態になっていないために、混乱が起こります。

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(危機管理の戦果を育てない仕組み)

 大きな問題は、日本政府の職員も県の職員も2年位でオフィスをローテートとします。ですから、日本政府には長い間の危機管理の専門家の職員が余りいません。私が例えば28年ほどFEMAにいましたが、他の政府の職員も10年、15年、20年くらいは専門分野に長く在職しています。もし日本が強い危機管理システムを作りたいなら、専門家を育てないといけません。

 東日本大震災の際に、しっかりとした災害対応計画を持っていないで被災した地域の状態はとても悪かった。しかし、どんなひどい状態にあっても、災害対応を出来るだけ効果的に行うためにも、最も効果的な計画が存在すべきです。FEMAは震災復興の目的のために役に立つと良いと思っています。どうもありがとうございました。

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司会:どうもボスナーさん、ありがとうございました。ボスナーさんに1年間後方幕僚会議に来て頂いて色々ご指導頂いた経緯があります。自衛隊も東日本では色々任務を頂きましたけれども、ボスナーさんにお教え頂いた事が大変役立ちまして、改めて感謝しています。どうもありがとうございます。

 それではただ今から休憩を10分程取りまして、後半パネルディスカッションをしたいと思います。ではこの時計で30分まで休憩します。どうもありがとうございました。

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(休憩)

司会:そろそろ時間になりましたので、ご着席お願いします。只今から「広域災害とその対策」をテーマとしまして、シンポジウムを開催致します。最初にシンポジウムのメンバーをご紹介します。皆様から向かって左からコーディネータの務台俊介神奈川大学工学部教授、続きましてパネリストを紹介します。井上忠雄NBCR対策推進機構理事長、清水真人日本経済新聞解説員、村松道岐夫京都大学名誉教授、小野次郎元内閣総理大臣秘書官、谷公一元兵庫県防災局長の皆様です。それでは務台さんにお願いします。

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シンポジウム「広域災害とその対策」

務台:それでは私が僭越ながらコーディネータを務めさせて頂きます。今日お越しのパネリストの皆様は直接、間接に防災分野に携わってこられた有識者という事でございます。井上忠雄先生は元自衛隊科学学校校長をされておりまして、大量破壊兵器の問題については権威者でございます。清水日経新聞編集委員は政治と行政の関係について鋭い分析をされておられます。村松岐夫先生は政治学者であられまして、特に官僚制、政治主導と官僚制の矛盾ですかね、今の問題点について問題意識をお持ちという事でございます。小野次郎先生は参議院議員でいらっしゃいますが、小泉政権で4年半総理秘書官をされ、有事法制の制定に携わったという方でございます。谷公一様は兵庫県庁に長くお勤めで、阪神大震災の後に防災局長になられまして、阪神の災害の後の防災体制の強化等について現場で経験を積まれた方という事でございます。

 今のボスナーさんのお話を受けまして議論をしていきたいと思います。1順目はボスナーさんのお話を受けて、今回の東日本大震災で政府や自治体がどういう風に機能したのか、または機能しなかったのかについて話をしたいと思います。そして2順目にこれからどうするかという事を議論したいと思います。

 ボスナーさんの話で印象的だったのは、東日本大震災時に各集団のスキルは非常に良かった。ところがその間のコーディネートなりマネージする機能が弱かったというご指摘がございました。日本の場合は防止準備、回復はそれなりの対応があるけれども、どうも災害対応についてのマネジメント、特に専門的な能力の面でいささかの課題があるという事でありまして、実は私もそういう意識でございます。FEMAという組織は特に災害の対応についてのマネジメント機能が強いという事は私も承知していますが、組織が非常に大きいんですね。職員数が2600人、予備役の方が別途4000人いるという事でございます。日本の初動対応の政府の中の機能は、内閣官房、内閣府、それから消防庁含めても数百人位であるという事で、ちょっと桁違いの体制だという事。その辺りも議論にして頂きたいと思います。

 それでは最初に井上忠雄NBCR対策推進機構理事長様に、今回の東日本大震災をご覧になっての感想をちょっとお話頂ければと思います。宜しくお願いします。

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井上忠雄
NBCR対策推進機構
理事長

井上:只今ご紹介頂きましたNBCR対策推進機構の井上でございます。NBCRとは特何だという事ですが、特殊災害、特に核、生物、今回の放射能等のこういう災害に対して、国民保護法というのが平成16年に出来ましたけれども、こういう特殊な武力侵攻、テロとか、その他に自然災害におきましても、我が国ではこういう特殊災害から国民を、あるいは安全をいかにして守っていくかという観点から啓蒙しているNPOでございます。けれども、今日は東日本震災の中で、特殊災害が陰に陽に沢山関わっているんですね。特に新聞等でも報告がありましたように、東日本の災害の中では化学物質、こういうものが非常に被害があった。その中で典型的なものが福島原発ですね。今日は時間が5分位しか与えられておりませんので、後程清水先生とか村松先生と小野先生が危機管理における行政あるいは政治的な面、そういう広い観点からご議論頂くとしまして、私は東日本の中で特に大変な被害を与えている放射能災害ですね、この原発の問題を取り上げます。

 福島原発の問題を大きく分けますと、放射能汚染と放射能対策の初動対応の2つに分かれる訳ですが、放射能対策において本当に日本を始めとして国民を守るために政府及び地方自治体は機能したかという事なんですね。特に問題としては初動対応のまずさが指摘されるんじゃないかと思うんですね。この初動対処のまずさの中で大きく分けると、3つあるんじゃないか。1つ目は放射能汚染問題ですね。それから2つ目は公共放送の事。新聞等について今日清水先生からお話頂きますが、新聞やNHKを始めとする公共放送は、国民に最も報道すべき汚染の状況をいち早く国民に警報したのかという問題があるんですね。今後やはりこれに対する対応を検討していくべきじゃないか。それから3つ目は汚染源であるところの核の原子炉ですね、これが今日に至るまで封じ込めがされていないんですね。原子炉災害、原発災害においては火元を、汚染源をいかにして封じ込めるかという事は、我々に与えられたかなり重要な課題じゃないかと思うんですね。今後の大きな研究の課題になる。

 特に初動対応の悪さで指摘できますのは@、A、Bですね。その1つは、3月11日の事故発生の時に既にベントしたという事になっていますが、なぜ国民に警報・注意報を出さなかったか。出しておれば、恐らく福島県民を始めとして多くの方々がそれに対する備えや準備が出来たと思うんですね。この問題。2つ目は今まで22ヶ所の原子炉のオフサイトセンターがある訳ですが、これは現場の指揮の中枢なんですね。だから内閣の総理大事の下にあるんですね。政府の指揮と現場の大事な中枢が本当に機能しなければいけなかったのに、今回は全く機能しなかった。特に初動においてはね。この問題。3つ目は放射能の予報システムが百何十億もお金をかけてやったにも関わらず全く活用されていなかったという事ですね。実際これが発表されましたのは、12日頃、23時間経って初めて、そのSPEEDIという予報システムが使われた。こんな事で良いのかという事ですね。後程、先生方にはご議論頂いて、日本の危機管理の在り方を直していくべきじゃないかと思うんですね。

 この問題を提示しまして、放射能汚染の問題、これを簡単に説明させて頂きます。まず11日、12日の段階で、本当に3キロ、10キロ県内から避難させているけれども、こういう大量破壊兵器にしても、被害は同心円状に広がらないんですね。風があり、地形がある訳ですから、風に流れて行く訳ですね。この考え方が本当に良いのかという事ですね。2つ目は総務省を始めとして自衛隊も行きましたが、特定する要因が、必要な特定がなされたのかという問題があるんですね。こちらはご存知の通り3月11日から15日の火元である原子炉周辺の汚染状況を示したものです。16日になると1万100シーベル前後になっている。これが風に乗って風下の方向に行くんですね。大事なのは風向き、風速ですね、これを知らせて、風下の人間に対して注意を出すというのが必要なんですね。

 それから、オフサイトセンターが全く機能していないという事なんですね。ここは指揮中枢である訳です。本来なら述べたいところですが、省略しまして次。SPEEDIですね。これは今まで長い間やってきたにも関わらず活用されていないという事ですね。ある程度気象も入れて、地形も入れてやっている訳ですが、本当にあくまで予報ですから、実際にこういう風なNBCRの災害時は警報を国民住民に知らせて、避難の方向を決めなければならない。

 オフサイトセンターという現場の指揮の中枢で、こういった指揮においては危機体制の確立、責任と権限の明確化が非常に大事なんですね。今回も自衛隊がやっていく必要があると思うんですね。この風下、我々自衛や軍では、こういう風があればこういう方向になるというのを簡単に出す事が出来るんですね。風下については、やはり風速と材料、科学材料に時間を掛ける事によりまして簡単に出てくるんですね。やり方は通常これだけ知っておけば良いんですね。500メートルから1キロ位の円を書きまして、平行線になって、風下20度の安全係数を掛けますと、風下方向は危険ですよというのが簡単に出てくるんですね。これに基づいて警報を出さないといけないですね。

 これは必ずシミュレーションでやりますので、これを補正する必要がありますね。これをやるのは自衛隊であり、測定部隊なんですね。このSPEEDIで大事なのは気象、風速、地形の影響というのが非常に重要という事で、大事なのは実際にこれを測ってみるという事です。つまりモニタリングという事が大事です。これはヘリコプターで空中モニタリングをする、あるいは車両やっていくとですね、2時間おき、あるいは5時間おきに国民に、風下の国民にあるいは東京周辺の人に常にデータを知らせる事が出来る訳です。それに基づいて彼らは避難の準備が出来る。避難の方向が決められるという事ですね。アメリカは航空機に乗りまして、この汚染の情報を捉まえるんですね。これをいち早く国民に知らせるという事が大事なんですね。そこで実測の自衛隊なり科学部隊なりが、この汚染の所に行きまして、縦方向に、それから横方法に測定をさせる。これに基づいて汚染状況が分かる。これはチェルノブイリの例なんですね。チェルノブイリはこういう風の方向に流れまして、実際は山とか川、その時の気象によりまして実際に汚れている所はこうなるんですね。こういう状況に福島もなっている。これをいち早く国民に知らせて、ここは危険だよと図を作るんですね。今回福島はこういう方向に逃げたんですね。一番危険な方向に逃げている。汚染状況をこうやって図で作っていけば、逃げられる。この方向は危険じゃないよとなるんですね。こういう所は20キロ、10キロでもほとんど汚れていないんですね。こういう事を実際に危険が起こった時に実働的に運用していくという事が非常に重要という事であります。以上です。

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務台:ありがとうございます。生々しい話ですが、今のような事がきちんと政府の中枢に行っていたのかどうか。行っていたとして、敢えて止めたのか。そういう問題意識が問われるところでございます。では、清水委員から、今もマスコミの報道の仕方のお話がありましたが、今回の政府の対応についてちょっとご見解を賜ればと思います。

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清水真人
日本経済新聞
解説委員

清水:はい、ありがとうございます。私がメディア全部を代表して話す事はもちろん出来ないので、アウトサイダーでございますが、自分自身で見聞きした事の中からお話出来ればと思います。私の編集委員という肩書きはどういう事かと言いますと、現場の第1線は記者クラブに毎日張り付いて、夜討ち朝駆けして日替わりでニュースを書く。そういう所はちょっと年をとったので卒業しまして、ちょっと距離を取って第2線としてじっくり取材をしてコラムを書いたり、解説をしたりするという立場でございます。

 震災が起きた時にどうだったかと言いますと、実はあの日は携帯電話も通じないような状態だったんで、取材どころじゃない。今申し上げたように第2線におりますから現場に飛び出してという状況ではなかったんですけれども、その日のうちにもう地震、津波、原発という話が出ていた。自分も電車が動いていないから家にも帰れなくて、自分自身も混乱している状況の中で、一体どうなっているんだろうな、政治の中枢はどうなっているんだろうなと思って、メールなどで取れる範囲で連絡を取ってみると、その時点で漏れ聞こえて来たのは「今官邸で最大の問題は、内閣総理大臣そのものだ」と。一言で言うとそういうメッセージだったんですね。これは尋常ではないと。起きた事自体が尋常ではなかったですが、官邸で起きている事も尋常じゃない。極めて断片的な話だったんです。ああいう時は現場に行って、肉体労働をしている方が、肉体は大変だけど気が楽だと思いました。こっち側は、この事態において政治なり行政がどういう動きをするのか、その事を多少の時間的タイムラグを置きながらどうやって取材してコラムなんかを書くかという事なんですが、正直コラムが新聞に載る余地は当然事ながらしばらく無い訳ですね。震災直後は起きる事を次々報道していく事が優先ですから、悠長にコラムなんか載せられないというのがどこの新聞でもそうでした。ですから逆に言うと、時間を与えられた中で、官邸でどうも尋常じゃない事が起きている、その事を第2線としてどう取材するか、というのが私の考えだったんです。そこで本格的に情報収集してみますと、情報源に迷惑をかけられないのでぼかした言い方しか出来ないんですが、時の総理大臣と官邸で働いているスタッフの方々の間に、全く意思疎通がない。それが震災で急に分かった訳ではなくて、その前からどうもそうらしいという事だったようですが、それが今回の危機に至って非常に極端な形で露呈してしまった。ほとんど信頼関係が築けていないんですね。どっちが良いか悪いかという事は今は申し上げませんが、全く断絶した関係の中で危機を迎えてしまって、普通あの建物の中で仕事をした方なら分かると思うんですけど、あの建物、官邸で仕事をしているスタッフの方々から自分の親分の批判をするなんてまずないんですよ。当然の事なんですが、よっぽどの事じゃないと。私も長く記者をやっていますが、政権交代するまでどんなにこっちが悪口を言わせようとしても、例えば我々が「○○総理は漢字が読めない」とか「○○総理は真空だ」と言ってもスタッフの方々がうかつに話に乗ってそうだという事はなかなかないんですよ。しかし今回私が官邸の複数のスタッフの方々から感じたのは、総理大臣に対するある種の何とも言いようの無い憎悪に近いような、まあ言葉が適切かどうか分からないんですか、そういう普通じゃない感情を持ちながら、それでも働いておられる感じがしました。

 実は私自身の反省を込めて申し上げるんですが、私自身何を報道するのかといった時に、今しかし原発が目の前で水素爆発していて自衛隊が放水していて、何とかしなきゃいけない。けれども何が起きているかも正直分からない深刻な事態だという時に、実は官邸ではかなり政治と行政の関係、あるいは政府の機能において尋常じゃない事が起きている。これはおかしい、官邸がおかしい事になっていると。そういう事を書いて、そもそも新聞に物理的なスペースがあるのか。また書く事自体いいのかどうか。自分でも分からなかったというのが正直なところで、どうしたら良いんだろうというままに私の場合は1週間から10日位は取材しながら何が起きているんだろうと逡巡しながら、何か書こうとしても、そういうスペースが与えられないかもしれないけど、結果としては私はやや戸惑って自制しながら時間が過ぎてしまった。10日位経って、ふと何かこれは変だな、自分も変だなと。何か躊躇って、何をどうしたら良いか迷っているんだけれども、妙に萎縮してしまっているという感じ。言葉が適切か分かりませんが、「何だこれは。昔の戦争の時もこういう事があったんじゃないか」と。つまり味方が必死に戦っている時に後ろから鉄砲を撃ったらいけないというような。適切な比喩かどうか分からないんですが、そういう気分になっていて、それはしかしおかしいんじゃないかと。やはりおかしい事はおかしい。批判すべき点は厳しく批判する。その結論に至るまでに私は10日位かかったという事でございます。その後、そういう記事をあちこち新聞とか日経系列の日経ビジネス等の雑誌に書きました。

 かいつまんで1つ、2つだけ私が本当におかしいと思った事を申し上げますと、やはり総理大臣と官邸スタッフの間に何か非常に冷たい関係、冷たいどころではないものがあって、その事が情報の伝達とか意思決定においても悪い影響を及ぼしていたのは間違いない。意思決定で未だに分からないのは、3月12日の未明に、最高指揮官である総理大臣が福島原発に視察に行った。15日の未明には東電本店に自ら乗り込んで行った。2回目の現地視察にも早い段階で行こうとしているんですね。東電本店については翌日もう1回総理の公用車が準備を始めるんですね。で、2日続けてどうも行こうと思ったようですが、思い留まって、結局1回ずつ行ったんですが、私も長年取材してきた感覚から言って、総理大臣が重大な事態が発生している時に官邸を空けて先頭に立って外に出て行くなんて考えられない。それでもそれに非常に重大な意味があるんだというのなら別ですが、私はそうは思わない。むしろあったとすれば害の方があったんではないかと思います。

 それから少し時間が経つ中で、非常に気になったのは、先程のボスナーさんから自治体の話ですが、法的な責任というフレーズがあったと思うんですが、指揮命令系統が官邸の中でも非常に良く分からなかったところがありました。良く知られているのが内閣官房参与という形で何人もの人を発令して、学者の方とか有識者の方をとにかく突貫工事で集めてやったけれども、参与にはどういう立場や権限があったのか。一方で総理大臣と秘書官の意思疎通が充分でないという事は、総理大臣と霞ヶ関の全体の意思疎通が充分でないという事で、どうも私は総理大臣は本来の霞ヶ関とは断絶し、一方で自分の周りに有識者を集めて自分だけの少人数の霞ヶ関を作って宙に浮いているように見えました。総理大臣だけの宙に浮いている小さな霞ヶ関の中に、総理大臣補佐官という人達がいる。総理大臣補佐官というのは、今の政権では政治家の方々、国会議員を中心に集められているんですが、補佐官というのは、私が法律を読む限り、内閣から行政機関に至るまでの指揮命令のラインに入って、大臣のように官僚に命令したりという権限は一切無いと読める。そうとしか読めないと思うんですが、今の政権はそうではなくて、補佐官と言うとブッシュ米政権のコンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官というイメージになって、大臣より偉いという形になっている。それは本人にも聞いた事があるんですが、原発について言えば細野補佐官が実状、菅さんに代わる責任者みたいな事で東電本店の統合対策本部で対処された。細野さんは今日はおられませんが、その立場を踏まえて言えば、彼自身は関係者の話を聞いてもかなり良く仕事をされた方なんですね。ところが残念なのは、彼が一体何の権限を持って東電に乗り込み、東電や関係する役所の人達に指示を下していたのか良く分からない。結局後から原発事故担当大臣にした訳ですね。大臣にしたという事は以前に法的な権限や責任の面で問題があったという事を当時の菅総理も認めておられると思うんですが、その辺りの事が非常に気になって報道したという事でございます。雑駁な事でございますが、以上です。

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務台:政治主導と専門家集団の官僚について鋭いご指摘を頂きました。それでは村松先生は官僚制度の権威でございますが、今のお話も受けましてお話頂ければと思います。

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村松岐夫
京都大学名誉教授

村松:村松でございます。ちょうど今話された問題に一番関心があります。関心がありますけれども、それに触れる事はもう1回順が回ってきたその時にしようと思います。

 今度は地震、津波、原発という3つ大事変が続きました。僅かな時間の中で地震、津波が起こる。地震、津波で大変な被害が起こる中で、原発事故という訳ですが、官邸は混乱していたようです。私も先程ボスナーさんのお話がありましたが、どうしても大事故が起きた時には、官邸のみならず、すべての人にいえることがある。それは、1人ひとりの判断がすごく重要になるという事です。個々人が自分を守ることの重要性が感じています。このことが第一。

 地震への対応については、阪神淡路大震災があって、それで色々な教訓がやはり学ばれていたというのも事実であったと思います。これは人から貰った資料ですが、早くから、選挙や税金関係などのルーティンの混乱を防ぐ措置がとられました。統一選挙延期の措置は3月16日に出ています。これは選挙の特例に関する法律ですが、選挙に関しては阪神の時も問題があった。同じ様に税金とか復旧事業に係るものではわりと早く法律が出来ている。阪神淡路大震災ではなかった土地改良法とか農業委員会に関する問題とか補正のタイミングも非常に早い。やはり準備、学習が準備を良くしていたということが言えます。それゆえに今回もまた何が起こったのかはしっかりと学ぶべきであると私はて感じています。準備体制という事で1つ、行政、地方自治という観点ですけれども、岩手県の遠野市が3.11の起こる1年半位前に津波が来た時にどうするか、後方支援体制の訓練という事で自衛隊との一緒に共同演習をしました。そのような事もやはりかつての三陸沖の津波や阪神・淡路の経験がいきて行われた対処の一つであった。そういう自治体もあってですね、ですから過去から学ぶというような事が今、いっそう重要になっていると思うんです。NPOが大量にかけつけました。住民も行政も助けました。阪神の時は受けいれに慣れないという事のためにNPOの善意をムダにしてしまったこともあるが、今回は、NPOは効率的に貢献できたのではないか。今回は後方支援という思想があって、そこで割り振りや企画があった。やはり学びがあったんだろうなと思っております。被災三県の外の地方自治体が行った被災地への支援も目立ちました。各自治体心の用意があって、支援の決定が早かった。

 官邸の話しに移ります。私は清水さんのようにアクセスがないんですけれども、しかし実は官邸の中にいた人からヒアリングしたことがあります。そのうちの一人によれば官邸は大混乱で、誰が入ったか、どこに座っていたが良く覚えていない。知らない人がたくさんいたということです。ですから秩序というのが無かったんですね。この事態は子どものような、ただ1人のパーソナリティだけのせいではないと思います。この辺りを解明することが大切です。私の関心は、素人・政治家と専門家・科学者の関係にあります。政治家は、どの政権でも何も知らない可能性が高い。そういう時に保安院とか原子力安全委員会はどこまで専門家の認識があったのか疑問に思っています。

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務台:ありがとうございます。それではまさに官邸の中にいて総理秘書官としての役割を果たしていた小野さんです。小泉政権の時にこういう事態が起きたらどうだったろうと言うお話も伺いたいですけれども、宜しくお願いします。

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小野次郎
元内閣総理大臣
秘書官
(現参議院議員)

小野:今政治家をやっていますけど、私は2001年から2005年まで4年半総理の秘書官をやらせて頂いて、担当はいわゆる安全保障、治安、情報管理、防災、全体的な危機管理という事でございました。この時は今の新官邸、翌年には新しい総理公邸なんかも作るという、外側の方を大幅に作り替えるというのがありましたから、ハードの面についても担当して色んな面でやったという事でございます。

 私が記憶していますのは、2001年の例の9月11日、9.11の時です。あれは夜の9時半頃から事態が始まった訳ですが、当然離れていて報道等で知るしかないという事で始まりましたから、非常に実態が掴めない状態が続きましたけれども、あの時は昔の官邸だったんですね。その時に危機管理センターがどこにあったかと言うと、向かって右側に記者クラブがあってその2階、3階が危機管理センターだった。だから主だった人物の出入りはマスコミには完全に見られている。そういう状況でした。で、報道等で流れる中で、危機管理センターの部屋は本来は真ん中に総理がいて、官邸の閣僚と内閣危機管理官、防衛省の担当局長あるいは外務省の担当局長が座るようになっていたんですが、こんな事言っちゃいけないけど、例えば自民党の三役とか連立与党の幹部までどんどん入って来たんですね。それを、誰を責める訳じゃないけど、役人の方がどうぞどうぞって入れちゃう訳です。そうすると情報を報告する危機管理官とかが立ったまま報告するみたいになっちゃって、防衛省の担当局長も外務省の担当局長も席が無いような状況で、座っているのは総務会長とか政調会長という。私は秘書官ですから席があって、壁際に座って状況を見ていましたけれども、官房長官が「予告した記者会見の時間が迫っている」と。でも実態が良く分からない。官房長官ですら立った状態で報道室からの報告を聞いたりする中で、時間が来た、記者会見するかと言ったら、小泉総理が一言「事件は国会外で起きているんだぞ。座ってから記者会見やればいい。分かっている事は分かっている。分かっていない事については分かっていないと説明すりゃあいい」。そこで皆「ああ、そうですね」と言って一息ついて座り直して落ち着いて対応した。私は政治家というのはそういう役目なのかなと思います。翌日かな、官房長官と総理のいる部屋に僕だけ呼びつけられた。「誰だ、政治家を上げたのは」と。「誰だと言われても私なんかが上げて良いと言ったんじゃなくて、次から次へ総務会長とか政調会長とか連立与党の党首らが来ちゃえば、普通の役人はどんどん入れちゃうんで、ああなったんです」と言ったら、「君は危機管理の担当だろう」と。まあ怒る人がいないから私に怒っていたんでしょうけど。それ以降、3階には危機管理の担当要員以外は上げるな、政治家の人間は別室に入れるようにして、そこには官房長官なり副官房長官がスポークスマンとして時々30分に1回位説明に行くという形に変えたんです。新官邸になってからはもちろん地下深くに危機管理センターがありますので、関係者以外が入る事は無いと思いますけれども、今回の報道等を見ていると地下と5回がバラバラだったというお話を聞いて、小泉さんの時は総理と官房長官はむしろ危機管理要員の真ん中にいて、そっちにいたんであって、別に5階に上がって地下の方で危機管理の仕事をしている、別の離れた所で意思決定をしている事はなかったですね。今回は逆の事を総理や官房長官がしていた。小泉さんの時は政治家は入れるなと言ったんですが。

 この危機管理について言いたいのは、今日昼から何を言おうかと思っていましたが、4年半というのは、戦前は知りませんけれど、戦後には後にも先にもこの仕事をこれだけ長くしたのは私しかない。言える事は、危機とか脅威というのは暗闇の中で背中から忍び寄る黒い影のようなものなんですね。本当に今ならお笑いになるような事もありました。例えば、沖ノ島の沖合いを潜水艦が複数浮上しながら東に向かって航行中、という報告が上がって来るんですね。これは大変じゃないかと思いますが、はっと気付いて鯨じゃないかと。でも暗闇の中なので、何だったのか良く分からない。潜水艦が複数浮上しながら東に進むなんてあり得ない事なんで、恐らく何かの見間違いだと思うんですが、本当だったら国家の安全保障の危機ですが、そういう事もありました。皆さんも新聞で見た事があると思いますが、城ヶ島から北朝鮮の工作員が上陸したという情報が流れて大騒ぎをして、あの辺一帯を捜索した事もございました。完全に調べてみましたけれども、そういう疑わしい事は全く出てこなかった。そういう事もあるので、結果としてそういう対応をとるべきだったと皆言いますが、空振りだった時には3年経つと皆忘れちゃうんですね。でも現実に官邸でそのポストにいる人間にしてみれば、最初に出て来た時は、後ろから忍び寄る黒い影で分からないんですよ。

 その時に感じたのは、日本人にとって一番の弱点はデマケで、デマケで負けちゃっているんですね。デマケ、つまり日本の場合は主体によって、目的によって区別しているマニュアルばかり作っている。どういう主体がどういう目的で脅威を与えていてというマニュアルを作るんですが、後ろから忍び寄ると時は主体も目的も分からないんですね。だからどのマニュアルを使えば良いか分からないんですけれども、普通の役人達は非常に真面目ですから、マニュアルを作れと言われれば作って配るんですが、黒い影の段階では皆動けなくというのを非常に感じます。このデマケをするんだったら、受けているダメージ、機能によって分けるべきだし、必要な手段によってマニュアルを分ける必要がある。何の主体が何の目的で、分かりやすく言うと、外国勢力が日本を侵略しようと思ってやって来たというマニュアルは、危機の時に役に立たないんですね。何のために来ているか分らないところから事態は始まりますから、私はその事を4年半やってきて感じました。

 デマケをスーパーバイズする、乗り越える存在というのは、日本には2人しかいないんですね。それは内閣総理大臣と内閣官房長官。この2人だけはデマケを超えて様々な災害や危機を乗り越える事が出来る訳ですから、この2つのポストにはしっかりした人が就いてもらわないと困るなあと思います。例えばこの間の原発事故は、原因は地震であり津波であると分かっていますが、もしああいう状態になった時に火災とか故障とか事故の可能性もあるんですね。ミサイルが飛んできてああいう事になる場合もあるし、国内のテロも外国人のテロもあるし、地震も津波もある。今回電源が切れた原因は未だに論争があるじゃないですか。地震で壊れたと言う人もいるし、津波で壊れたと言う人もいる。つまりそういう地震か津波かと原因を細かく分けたマニュアルからは、便利な解決策は出てこない。だからむしろ受けたダメージによってマニュアルを作るべきで、主体や目的によって作ったマニュアルは役立たないというのは私の経験でした。

 2002年から2004年にかけて日本は有事保護法制と国民保護法を整備しました。最初野党の反対、今の与党ですけれども、最後には85%位の国会議員の賛成で成立しました。その中にはFEMAのような組織を検討するというのが民主党、自由党の賛成の条件だったんですね。ところが民主党は法案が通ってから、郵政解散もありましたが、今に至るまで進まないで、今は誰が言い出したのか日本版NSC、NSC、NSCとなっているんですが、当時の総理秘書官としてはFEMAを検討するという事に自分としては引っ掛かっている事で、大震災と原発事故が起こるまで検討を怠ってきたというのは、大きな痛手だったかと思います。

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務台:今の小野先生の話にありましたデマケの問題は、先程ボスナーさんが仰ったAllHazardsの計画と同じ事だと思います。それでは最後になりましたが、谷公一さん、元兵庫県防災局長でいらっしゃいますが、阪神大震災の時と今回の対応を比べてどうかという事、さらに課題は何があるかというのをお願いしたいと思います。

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谷 公一
元兵庫県防災局長
(現衆議院議員)

谷:ご紹介頂きました。今衆議院議員をさせて頂いております、谷でございます。地震のあった11日の翌日から自民党の災害対策本部で実務者協議、そちらの方に出させて頂きました。また5月から震災復興特別委員会の理事をしています。そういう事で自分なりに17年前、もう18年になりますが、阪神淡路での経験、それらを精一杯活かさねばと。あるいは自民党の石破政調会長から「谷君、これは定めだと思って頼みます」と、そういう事で、今日まで自民党の災害対策の委員長をさせて頂いていますので、今週は雪害で青森に行きました。

 今回の場合は、先程からは色々話がございますが、気持ちと致しましては日経の清水さんには非常に近い思いです。もちろん自民党は野党という事でございますが、やはりこういう大災害で大切なのはスピードという事が大切。そして対策は思い切って講じる。3つ目に被災地が望む事、何が必要かという事を的確に掴む。4つ目に責任は政治家が取るという事をはっきり明示する。それがいずれもスピードについても、村松先生は経験が活かされてと仰っていましたが、活かされていると言えるかもしれない。しかし、活かしきれていないところもある。お金の配分にしても、18年前は1月17日に地震が起きて、2週間後の2月1日に配り初めました、義捐金。今回はどうか。17年前の経験、スピードが大切だから、全壊半壊の区別なしに一律に10万円配る。スピードが命という事が危機の時の何より大事な事であります。あるいは仮設住宅の建設の遅れ、瓦礫の遅れ。それも阪神淡路の貴重な経験がある訳ですから、それらをもっともっと学んで頂ければ、もっと早く処理出来るのではないか、というのが私の思いであります。

 それぞれの政治家あるいは政府もそれなりにやられたかとは思います。しかし例えば私が18年前の阪神淡路の対応で言えば、思い出す政治家と言えば野中広務であり、後藤田さんであり、担当大臣である小里氏。今回は誰が復旧の中心になって本当にやったのか。いない。誰もいない。誰が中心となってやったのか。気概を持って、気持ちを持って必死になって取り組む政府の中心人物が未だもって誰か分かりません。その辺のそういう政治家の問題。また政権交代して政治主導という名の下に、組織を上手く使う、能力を持っている人を上手く使う事を怠ったつけが今回現れているように思います。

 阪神淡路の時は、今は防衛大学校長になっておられますけれども、五百籏頭先生が次のように書かれていたのを大変印象深く覚えております。私が書いたものにも引用させて頂いていますが、次のように阪神淡路を総括しています。「思いもかけない地震によって露呈された社会の切断面が、思いもかけない戦後日本の良心が見えるのである」。そのような事から言えば、今回の大震災によって露呈された政府の対応のそういう切断面、やはり今の政府の問題点が非常に露わに出てきたのではないかという風に私自身は受け止めています。気休めだけではありませんが、厳しい目で見る事は事実です。やはりそこは厳しく、これだけ多くの方が亡くなって、数万人の方が避難されているという現状を考えるならば、そこは厳しくいかなければならないのではないかと私は思います。以上です。

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務台:ありがとうございました。色んな観点からの問題点の提起があったと思います。小野先生からはFEMAはどうなっているのかという話もございました。日本の場合は初動の行政機能が弱い。それから専門家の養成というのは日本は弱いんじゃないか。9日の毎日新聞に官邸の危機管理担当の職員が、夏の異動で3分の2以上交代してしまったとありましたが、ローテーションで動いている人事、ボスナーさんもそれが日本の課題だという風に仰っていましたが、どうも日本は危機管理の分野において全体を調整する専門家が育っていない。阪神の時も指摘されたし、未だに続いているという風に思います。そういう事も含めて、時間が無くなっちゃったんですが、お1人2分位でこれからの日本の危機管理体制、組織体制、人づくりも含めて何が必要かという事について、まず井上先生からお話頂けますでしょうか。

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井上:私はNBCRという、日本はNBCRという対策がほとんどなされてこなかった。非常に問題じゃないか。我々は自衛隊におる時も、現役の時も原子力災害というのは必ず起こるんだと言っていたにも関わらず、ほとんどこれが問題視されなかった。我々自衛隊の中で科学班がありますが、これはいわゆる原発事故とは原因は何にせよ必ず起こる可能性があるという事で、警鐘をはって計画もはってきたにも関わらず、これがほとんど取り上げられない。地下鉄サリン事件然りです。私は辞めましてから、世界の30カ国位を回っているんですが、あれは特殊災害ですね、こういう大量の被害を及ぼすので、国としてしっかりやっていかないといかんという事でやっているんです。例えばテロについては、アメリカやイギリス等はNBCR海外対策法といって、テロ対策法というのを作って法律でしっかりやる。予算をつける。そして機材を持つという様な事でやっているんですね。日本はこれについてほとんどその関心を持たない。今日ここに先生方いらっしゃいますけれども、メディアもいらっしゃるが、是非国民の声としてこの特殊災害、NBCR災害が我々の身近にあるという事を改めて認識して頂いて、法的な整備も含めてですね、是非ですね日本の対応を作って頂きたいなと思います。以上です。

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清水:私は防災に関しては素人でございます。先程来、出ていますような日本版FEMAについて余り論評する資格はないのでございますが、そういう事を考える時に、今の総理大臣官邸、内閣官房あるいは内閣府位まで、総理大臣のリーダーシップを支える組織体制の在り方については、1回ちょっと思い切った仕分けが必要なんではないか。防災の問題もその中で考える必要がある。私自身政治主導とか官邸主導という事についての関心は人後に落ちないつもりでございますけれども、総理大臣のリーダーシップという事を言うと、何か官邸に沢山政治家がいれば良いという事になりがちでして、ご指摘にもありましたが、権限の縦割りのデマケを乗り越えられるのは総理大臣と官房長官というのは、大変本質的なお話しだったと思うんですが、本当の意味で権力の中枢である官邸に常駐すべき政治家というのは実は少数精鋭の方が良いんではないかとも思うのです。その辺りを今、政権交代後どういう権限を持ったどういう立場の人間が官邸の中にいるべきか、かなり混乱していると思いますので、一旦そこを思い切って整理する中で防災の問題も是非考えて頂ければと思います。

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村松:短くお話したいと思います。震災後、日本のネガティブな側面が語られすぎているような気がする。たしかに震災は日本の消極面をあぶり出したけれど、しかしやっぱりやれる事をやれた面がある。そちらの面を見たいという事がかなりあってさきほどは遠野の例をあげました。

 フィナンシャルタイムというイギリスの新聞がありますが、6月の記事を覚えています。それによれば、日本の震災後の復旧状況については、道路とか鉄道、そういうライフライン的な対策については割合早く復旧していると書いている。日本人の被災直後の秩序が世界の賞賛を受けたという話がありましたけれども、復旧対策も動いている訳ですね。

 しかし、科学にかかわるところが問題でした。政治家と専門行政の関係は深刻です。私はこの問題を、ドイツ人でアメリカの大学で教えた政治学者カール・フリ−ドリッヒの主張を参考にして、抽象的に考えたことがあります。次のように言うわけです。20世紀、行政は高度に専門的になった。原子力を使う戦争ということもある。どういう風に専門家の意見は、政治の決定になりうるか。これが問いです。事態を把握して、専門家が意見を言う。そして政治家はそれを聞かないかもしれない。色んな事を考えるのが政治家だから。それでも専門家にはプロフェッショナリズム精神というものがあります。強く主張しなければならない。そして、それが政治家の決定にならなければならないはずです。日本の手続きには原子力安全委員会と保安院が今政治に助言する立場です。私の読んだ論文は、専門家の判断が優先して、行政を動かしてしまって良いと言っています。accountabilityという言葉は最近よく使われますが、政治学で、最初につかわれたのはaccountabilityとresponsibilityを区別しているフリードリッヒの論文だと思います。今回のケースでは、専門家が機能していなかった。専門家をまず受け止めた保安院は専門の立場でなく、ジェネラリストとして考える世界にいる。政治に助言する「プロフェッショナル」というのが日本には無かったんですね。日本で政治に助言するのが官僚制であった。ここが問題です。官僚制の組織では、ゼネラリストを大切にしてきた。その育成のためにローテーション人事になっている。私の場合はかなり前から言っているんですが、そうではなくて、専門家としてあるポジションに5年、7年いて、専門度の高い事項に責任をもつ体制が重要です。プロフェッショナルの判断が必要です。その精神で頑張った人は、言い過ぎて首になるかもしれない。首になっても、そういう専門家を社会は大切にすべきですね。専門家を育てて欲しいし、霞ヶ関に置いて欲しい。そして専門家を社会全体で大切にしようというような取り組みが必要だと思います。

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小野:4年半総理秘書官をやったと言いましたけれども、最初に総理から言われたのは、「夜中に自分を起こすかどうかは小野さんが判断しろ。朝になって報道機関から総理はいつ報告を受けたかと聞かれたら、小野さんが聞いた時間をもって聞いたと答えるから、私の耳と同じだ」と言って頂いて、それで4年半、自分の体も寝なきゃいけないから持たないですよね。私はそれで4年半する事が出来ました。

 政治家と、やはり当時は総理秘書官は事務秘書官が4人いましたけれども、それが霞ヶ関との、全ての官僚機構とのブリッジになっているんですね。総理秘書官と総理大臣との間にそういう耳だ目だという信頼関係があれば、全ての官僚組織は動く訳ですけれども、先程の清水さんのお話の通りだったとすれば、去年は全くそういう事が無かった訳で、それは恐ろしい感じがしました。

 私は申し上げると、昔、私達の年代より上の人は警察比例の原則というのがあったんです。今は行政の比例の原則と言うんですね、先生。村松先生がご専門だと思うんですが、これが非常に大事なんです。それ以降この3、40年の間に法学部で教える事も、役人になっている人も含め、行政はマニュアルの手続きなっているんです。官僚がそういう風に教えられてきたために、危機管理にますます向かなくなっているんですね。19世紀のドイツ法なんて、その頃は法律に反しなければやって良いんだという頭でしたから、臨機応変にやってきたんですけれども、それがどんどん細かくなって、色んな人権的配慮から何かで細かく書くから、行政の役人はいざとなると現実を見て手段を考えると発想にならないところが非常に問題だと思います。政治家にも問題の在り方については考えていかないといけないところがありますけれども、行政の方も危機管理の官僚を養成しておかないと、官僚はマニュアルがないと動けないのが多くなっているので、そこが不安かなとそう思っています。

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谷:務台さんのお話にありましたけれども、やはり専門家は余りにも通常のローテーションで回すべきではない。私も震災からまだ1年も経っていないのに、私個人も色々付き合いがどんどん変わっていく。こんな事で良いのかと本当に思います。それで、井上理事長から法整備のお話を頂きましたが、その通りだと思います。そしてもう1つ、やはり戦後ややタブー視されてきた憲法上の問題として、有事の時に対応した法制が憲法にはない。この事はしっかりと我々自民党でも今検討はしているのですが、色々議論はあろうかと思いますけど、そういう風にこれからテロもそうですが、間違いなく来ると専門家が言っているのは東海、東南海、南海、首都直下型の4連発。これが、広域災害が間違いなく来る。そういう時に今の体制のままで良いはずはないです。また、法制上の様々な問題もしっかり憲法に定めて、憲法をそこの所を整備する。そして国民的な議論をするようにするという事が、国全体としても大変大切なように思います。それを避けてはいけないと思います。以上です。

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務台:パネリストの皆様、ありがとうございました。谷先生からお話がありましたように、今日本は東日本大震災に勝るとも劣らない大きな災害が予想されております。3連発、4連発。政府の想定では東海地震が起こると1万1000人以上が亡くなり、経済的被害が120兆円生ずるであろうと見込まれています。にも拘らず、今の体たらくで良いのか。米国には、危機管理に対してのプロアクティブの原則というのがあります。大きな災害が起こった際のトップの行動原理で、それは1つは疑わし時は行動しろ、2つ目は最悪事態を想定して決断せよ、3つ目は空振りは許されるが見逃しは許されない、という考え方です。それをトップは常に叩き込まれるそうです。日本の場合はそういう観点が行政のトップにも政治のトップにも引き継がれない。これを何とかしなきゃいけない。それと同時に今先生方からお話がありましたけれども、専門家を大事にする仕組み。専門家を育てるためにどういう組織体制が良いのかという議論もこれからしていかなきゃいけないという風に思います。そういう意味で今回のシンポジウムが1つの大きな提言になるような機能が果たされればと思っております。司会が拙く、時間が超過しました事をお詫びして今日のシンポジウムを閉じさせて頂きます。本日はありがとうございました。

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司会:先生方ありがとうございました。それでは次回のセミナーに関しましてご案内ございます。今回のセミナーの続きですけれども、今回に引き続きまして大規模災害の教育と訓練の在り方、電力喪失への対策として原子力発電のこれから等々につきまして皆様からのご意見を伺いながら開催したいと思います。

 なお、クライシスマネジメント協議会としまして、特に民間の皆様方の力添えをお願いしております。今後もより多くの参加を是非ともお願い申し上げします。本日は皆様誠にありがとうございました。

以上
(敬称略)
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