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2007年7月初版の “大震災マニュアル” |
麹町学園は2007年7月に"大震災マニュアル(大震災で帰宅できない時)"を作り、生徒、保護者、教職員に配布しました。
学園にとって生徒、教職員の安全確保は最重要課題であることはいうまでもありません。
いざと言う時に、学校としてできることとできないことがあります。ですから自分達の身は自分達で守るという意識を持ち、ご家庭でも話し合ってくださいという思いを伝えたかったのです。学園の校舎建物は2004年に竣工しましたが、阪神・淡路大震災の経験を踏まえ、耐震構造にはとくに配慮されています。大震災に見舞われた時に、1000人の生徒教職員が学校にいた場合の対応策を考えました。生徒の帰宅については、交通機関がマヒした時などには生徒を下校させず学園でお預かりする、ただし、保護者が学園まで引き取りに来られた場合は帰宅させる、ということとしました。
非常用の備蓄品も手配しました。毛布、防寒防水シート、水、ビスケット、インスタント五目御飯、味噌汁、発電機、下着、生理用品、電池、医療用品、大型ポリバケツ、照明器具、LPGコンロ、などです。また学園の駐車場の一角に風力・太陽光発電装置を設置してあり、バッテリーが内蔵してあって、非常用の電源供給源となりますが、更に、浄水装置がついていて、屋内プールの水を1日300リットル位浄化でき、飲料水としても、消毒用に使える水の供給が可能ですし、近くの東郷公園には大量の飲料水の供給センターがあっていざと言う時にとりに行ける用具も確保済みです。
さて、実際3月11日の対応です。
<時系列>
14時46分地震発生 |
・高校生はテストが終わり下校済み |
19時 |
備蓄してあった1.5リットルのペットボトルの水と缶入りビスケットを配布 |
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21時 |
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22時 | 消灯 | ||||||||
07時 | 起床 2グループに分けて朝食(五目御飯とインスタント味噌汁) | ||||||||
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09時頃より | 交通機関の復旧状況を確認しながら下校 | ||||||||
12時 | 最後の生徒下校、14時全員帰宅確認 |
<対応について>
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家庭への連絡はホームページと電話にて行いました。(問い合わせに応対。生徒も保護者にメールや校内の緑の公衆電話から"無事です"と連絡)教員は交代でアリーナの生徒をアテンド、玄関にて引取りに来られた保護者に対応。夜明けまでに生徒を引き取りにこられた保護者は110組ありました。また、職場で一夜過ごされた保護者も多く、朝来校して、"学校に預かってもらったので安心して職場で夜明かしできました"という方々も大勢居られました。 |
A | 副校長がセンターとして一義的に指揮。 |
B | 交通情報の一元管理。(TV、インターネットによりボードに時々刻々記入) |
C | 養護教員2名、カウンセラー1名がいたこともあって体調に異変のあった生徒の介護にあたりました。 |
<以上の流れの中で感じたこと>
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非常時対応マニュアルがあったこと、つまり、学校が安全であることから生徒は帰宅ルートの安全が確認されるまではとどめ置くという方針が教職員の共通認識としてあったことから、生徒の誘導、保護者対応については混乱もなく、落ち着いて行動できたので、生徒もその面で安心感をもつことができました。 |
A |
防災マニュアルは、私がイラン・イラク戦争の最中にテヘラン駐在で常にいざという非常時を想定して緊張をもって生活した体験や、阪神・淡路大震災体験者の話、また、女性役員の観点からみた備蓄用品、ゼネコン、行政、町内会など幅広くアドバイスをいただいて作成しました。今回の体験を通じて改善点もあり、バージョンアップを作成中です。 |
B |
マニュアルはいうまでもなく、混乱のなかで指揮命令をその都度出すのではなく、あらかじめ決められた手順にそえば、かなりの対応がだれにでもできるという利点があります。また、別の視点から、非常時には地元の皆様との相互協力関係も大切であると認識しており、学園は町内会、行政と日頃のお付き合いを通じて極めて強い信頼関係を構築してきました。前述の発電装置も地元企業が開発したもので非常時には町内会の皆様にもご利用下さいとキーを預けてあります。 |
C |
リスク管理は一般論としてあてはまる要素もありますが、各学校、企業、組織、家庭などによってファクターも異なり、画一的な所謂マニュアルや対応策を作ることはあてはまらないと思います。それぞれが、平時に意識をもってできるだけ具体的に整理、立案しておくこと、それを関係者が内容を理解し、認識しておくことが大事です。 |
D |
その策定の過程では、幅ひろく情報収集をすること、独自の事情を正しく把握することが肝要です。例えば、本校の校舎は清水建設による設計、施工でしたが、耐震構造となっており、躯体はかなりのマグニチュードまで耐えられるので、いざと言うときには校舎内にいることが一番安全であるとの認識を持っていました。また収容場所もあらかじめ検証、取り決めてありました。事実、建物の被害はありませんでした。備蓄品の内容と量については充実計画が進行中で今回必ずしも十分ではなかったのですが、在校人数がしのぐことができるものでした。今回、東京は電気、ガス、上下水道などライフラインに混乱がなかったことも不幸中の幸いでした。 |
防災、安全対策については今後も一層の充実をはかり、生徒教職員が安心して過ごせる場を提供するよう心がけてゆきます。